【就職・転職】キャリア…だと? 専門性を追究することのたった一つのデメリットも知っておこう

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 おおよそのビジネス書や自己啓発書には、「専門家になれ」ということがほぼ例外なく書かれている。
 もちろん、「専門家という職業で飯を食え」ということではなく、「何かひとつでも『これだけは誰にも負けない』という分野を持ちなさい」ということ。
 専門性を持たないと、将来、中途半端な人間になってしまいますよ、というおせっかいな警告さえされる場合もある。うるせえ。

 転職業界の界隈では、キャリア!キャリア!としきりに叫ばれている。キャリア!

 自分の好きな分野について熱中していたら、たまたま詳しくなってしまった、というのは、専門知識を身につける上での理想である。
 反面、専門性だのキャリアだのの強迫観念に駆られて「何かを極めなくちゃ」と専門性を身につけようとすることは、向上心があって素晴らしいことであるものの、自分の無限の可能性を自ら踏み潰す結果にもなりかねない。

 そう、「自分には専門性がない中途半端な人間だ」と落ち込んでいる人がいても、嘆く必要なんてどこにもないというのが、今回のお話です。

 

「万能型」として自信を持とう

 専門性が重宝される世の中にあって、そうでない人は、「何でも屋」「器用貧乏」と揶揄されがちである。
 深い知識を持たず、飽きっぽい、集中力がない、表面的な人間であり、まともな経歴の持ち主とは言えない――など。
 天秤にかけた場合、一つのことに秀でた人の方が信用できそうな気もするだろう。

 しかしである、器用貧乏、すなわち「万能型」が、「専門型」の人間よりも劣っているということにはならない。
 「万能型」の最大の特徴にして長所は、あらゆることに興味を示して追究しようとすることである。素晴らしいことじゃないか。

「専門型」ばかりが重宝されがちな世の中において、キャリア・コンサルタントのバーバラ・シャーは「万能型」の味方である。

 バーバラ・シャーは「万能型」のことを「スキャナー」と呼んだ上で、

 自分たちがスキャナーであると自覚するだけで、それまで抱いていた自分自身への過小評価、恥辱感、挫折感…などがすべて消え去り、自分以外の誰かのようになりたいなどとは思わなくなる。

 つまりは、「専門型」ではないからといって落ち込む必要なんてどこにもない、と言っている。
 まずは自分を「万能型」、すなわち「あらゆることに興味を示して追究しようとする多方面に能力のある者」と認めることから始めるべし。
 そうすることにより、自分自身に対して誇りを持てるのだ。

 「専門型」だけが善ではないし、優れているわけでもない。
 そのことを理解して、自信を持つべし。

 

「能力型」のメリット ―新しいことに挑戦できる

 市場では「専門型」が持て囃されるみたいだけれど、そのデメリットも知っておくべきではないだろうか。
 それは、「融通が利かない」ことに他ならない。

 今の仕事が十年後、二十年後にニーズがあるかどうか、誰にもわからないのである。
 ロボットに仕事が奪われる、労働は人工知能に取って代わられるなどと仰々しく叫ばれているが、来るべき未来に本当にそうなった場合、「専門型」は危ない。
 仕事は一人一芸に秀でているべし、という考えを持つ「専門型」は、その業界が縮小傾向にあった場合、他に何もできないので食いぶちに困ってしまうだろう。

 しかしながら、「万能型」は違う。彼ら「万能型」のメリットは、臨機応変と自由である。
 もしその業界が危うくなっても、軽い身のこなしで他にやるべきことを見つけるのである。
 今の仕事に情熱を見出だせなくなってしまっても、軽いフットワークで他の興味の対象に行き着くことができる。

 もちろん、上記はある程度デフォルメされている。
 「専門型」の中にも臨機応変に対応できる人は山ほどいるだろうし、逆に、「万能型」の中でも思考が凝り固まった人もたくさんいるに違いない。
 だいたい、「専門型」「万能型」と人を大雑把に2種類に分けるのはどうなのか、という疑問もあるかもしれない。

 

「器用貧乏」「万能型」に幸あれ!

 私が言いたいのは、「専門型」の人間ばかりが興味の対象となりがちな就職・転職市場において、決して「専門型」だけに市場価値があるわけではない、ということを言いたいのである。
 むしろ、「これだけは他人には負けない」というものを持っている方が稀なのである。

 そんなある種凡庸な人たちを「万能型」と位置付け、あなたに絶対的価値がないわけでは全くないから落ち込む必要なんてどこにもない。
 機動力というメリットだってある。

 あわよくば、あらゆることに挑戦できる「万能型」の方が、この激しく変動する現代社会において、掴んだチャンスを生かせるのではないだろうか、と結論付けたいのである。

 なぜなら、私が「専門型」ではない、単なる「器用貧乏」だからである。