なぜ長時間労働は起こるか。田舎の零細企業(農業法人)の実体験から考える5つの理由

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 私がかつて勤めていた小さな農業法人では、長時間労働が常態化していた。
 とは言っても、忙しくて帰れないということではない。

 皆、なぜかだらだらと会社にいるのである。
 で、早く帰る者を「あいつばかり早く帰りやがって」と非難するのである。

 私は当初、というか辞めてしまった今でも、そのシステムについて全く理解ができていない。
 仕事が終わったらさっさと帰ればいいじゃないか。
 事務所に残る者が必要なら数人だけを残して、他の者は帰らせればいいじゃないか。
 交代で夜勤をすればいいじゃないか。
 なぜ全員で残ってだらだらとしていなければならないのか、そしてそのだらだらから抜けた者を「あいつばかり早く帰りやがる」と非難しなければならないのか。

 これが田舎の会社だけの特徴なのか、零細企業だけの特徴なのか、それとも組織というものは概してそういうものなのか、経験不足のためにわからない。
 しかしながら、私が思い描く労働の基準とはかけ離れたものであることだけはわかった。
 全く合理的なやり方でないし、ただ単に労務管理ができていないだけである。

 以下では、私が経験した事象3例を挙げつつ、なぜ長時間労働が発生するのかについて考えていきたい。

 

例1:セメントの様子を見るために夜中まで皆で残る

 弊社では、社長は現場に出ることは殆どない。
 現場を取り仕切るのはリーダー格の男である。
 従って、下記の状況を作り出しているのは会社のトップではなく、一社員である当該男であるとみなしてよい。

 事務所の入り口通路のアスファルトが経年のためにデコボコし始めて来ていたので、セメントで修復しようということとなった。
 私は土方や建設系については門外漢なので、彼らのやっていることをほぼ見ているだけだった。
 その場にいた6人の従業員のうち、実際にセメント作業の知識があるのは2名だけであり、私を含む他の4人はサポート要員のようなものだった。

 日中の勤務時間内にセメント作業は終了したものの、深夜までセメントの固まり具合などを都度見ていなければならないという。ただ見張って、ちょっと修正する作業である。どう考えても1人か2人いれば済む仕事だ。
 なのに、私以外の5人全員が残った。実際に作業をするのは2名である。他の3名は何もすることがない。聞くところによると全員揃って夜中の3時に帰ったらしい。
 なぜ残らなければならないのか。残らせなければならないのか。
 なぜ残る者からも異論が出ないのか。

 ちなみに私はあまりにも残るのが馬鹿馬鹿しいので「恋人と会うことになっている」と言って帰った。

 

例2:階段を作るために夜中まで作業する

 小さな会社の社長というのは全て思い付きで行動に移す傾向にある、と私は思っている。
 要するに行動力だけがあって、計画性がない。そういった人物を私は何人も見てきた。

 その日も社長は思い付きで「階段があったらいいな。階段を作ってくれ。一週間以内に」とお達しを出した。
 社員たちは、上からの指示は絶対だと思っている節がある。なんだかんだ文句を言いつつもトップダウンを絶対視し、遵守する。

 階段を作る司令を受けた技術のある者2名は、その一週間をほぼ徹夜で会社に残り完成させた。
 めでたしめでたし。
 ではない。

 その階段作業者たちは、非階段作業者たちの陰口を叩き始めたのである。
 「あいつらばかり早く帰りやがる」と。「頑張った俺たちに報酬がない」と。

 残業代も出ないのであり、報酬がないとの不満が出るのはもっともな話ではある。
 しかし、早く帰った者は何も悪くない。指示されていないのだし、技術もない。
 従って、陰口を叩くことには何の意味も合理性もない。

 報酬がないという不満は、それを指示した社長に交渉すべきことである。社長に会おうと思えばすぐ会える小さな会社だ。
 なぜ言わないのか。
 なぜその代替として陰湿な手段を取るのか。
 なぜ早く帰る者が悪いと転嫁されるのか。

 だいたい、後に陰口を叩くくらいなら予め徹夜してまでやることはなかったのだ。

 

例3:冬、何もすることがないのに出勤してだらだらしている

 稲作を中心に行っていた農業法人であり、田植えの春、防除の夏、収穫の秋までは激務なのだが、冬は基本的に何もやることがない。事務仕事と雪かきくらいである。

 田植えは特に激務であり、長い人だと2〜3ヶ月間休日が一日もない状況が続く。私も一ヶ月程度休みなく朝から晩まで肉体労働をさせられ、大変に疲労困憊した。
 その状況についても是正すべきであると私は思う。せめて週一で休日を取れる状況にしなければ会社としてどうかと思うし、重機を扱う以上事故が起こりかねない。
 だけど、それは仕方がないとして百歩譲って目を瞑ろう。

 問題は暇な冬である。
 夏にあれほど休日も極めて少ない過酷な勤務をしたのだから、冬に休日を増やすとかすればいいと私は思う。だって、仕事なんて殆どないのである。
 1人ずつ交代で2週間くらい休んでも、何も問題ない。

 なのに、そうならないのだった。
 出勤してきてはだらだらと仕事らしきことをして、帰っていく。
 だらだら仕事をするために出勤してくるならその分休日を増やして、少ない出勤日にテキパキとやればいいと私は思うのだ。
 そうすることによって、夏は休日を少なくせざるを得ないという不満も少しは解消でき、バランスが取れるはずだ。

 にも関わらず、休日が増えることはなく、冬の日々は生産性の低い労働をだらだらとやっている。
 そして、早く帰る者を「あいつは早く帰りやがる」と陰口を叩くのだった。

 

なぜ労働は長時間化するかについての考察

 ルールもへったくれもない会社である。ザ・田舎の零細企業である。
 こうやって改めて書くのも馬鹿馬鹿しい事例ばかりなのだが、これが現実であり、社会にはこのような企業が殆どであり、このような会社の社員が矛盾を抱えながら苦しんでいるケースが殆どであろう。

 要するに上記農業法人は原始的な会社であると言えるだろう。
 明文化されたルールもなく、強い社員が作った不文律と派閥で形成されている。

 上記の例から、なぜ労働は長時間化するのかについて考えられることを5点挙げていきたい。

 

1. 長い時間会社にいることが美徳であると勘違いしている

 「会社に夜遅くまでいる=たくさん仕事をしている」と考えている者がいまだに多いことには閉口する。
 彼らの辞書には生産性という言葉はない。
 「定時で帰る人物=仕事を早く片付ける優秀な人物」という式は、彼らの中では成り立たないようだ。

 早く帰る人を見つければ「あいつばかり早く帰りやがる」とイチャモンを付ける。
 だったら自分たちもだらだら仕事をしていないで早く帰る努力をすればいいと思うのだが、そうはならない。
 なぜなら、会社にいる時間が長ければ長いほど美徳であるという思考回路だからである。

 発言力のある者がこういった考えであると、現場は無意味に労働時間が長くなる。

 

2. 仕事が趣味みたいになっている

 働く人には二種類いる。
 ひとつは、仕事は仕事として割り切っているタイプ。
 もうひとつは、仕事が好きで自己実現の手段になっており、労働時間の拘束に関係なく好きなだけ仕事をし続けるタイプ。

 どちらが正しいというのはないけれど、労働に関する基準としての法律が制定されている以上はそれを守るべきであり、部下には守らせるべきではないだろうか。
 仕事が好きで四六時中仕事のことを考えたい人はそうすればいい。
 ずっと会社にいたいのなら結構。
 だけど、それは他の人に押し付けるべきことではない。休日で充電してこそ最高のパフォーマンスを発揮できる人だっているのである。

 仕事を趣味にしたいのなら勝手にやってくれ、と言いたい。

 

3. 残業代が支払われない

 ホワイトカラー・エグゼンプションの議論においては、推進派は「残業代が出ないとなれば、皆早く帰るようになるだろう」との予測を立てていた。
 反対派は「残業時間に対する残業代が出なかったら、会社は従業員を限界まで働かせるに決まっている」と主張した。

 私が勤めていた農業法人においては、残業代という概念がなかった。そもそもタイムカードがなかったので、時間管理さえされていなかった。
 まずこの状況は会社としてどうかしているという問題はとりあえず置いといて、人は時間で管理されないとだらだらする生き物であると私は考えている。

 上記における「階段を作るために夜中まで作業する」事例においては、残業代という概念がなかったがために社長は「一週間以内に何が何でも完成させろ」と漠然とした指示を出し、作業者は「よーし、仕事だ、やるぞー」と無駄に意気込んで階段作りに没頭した。

 でもそこに時間管理・残業代という概念があれば、少なくとも有志が夜中まで勝手に残ってだらだらと作業することにはならなかったであろうし、夜中まで残らざるを得ないのであればそれに対する報酬も支払われ、誰も不満を持つことはなかったと思うのである。

 残業代・時間管理というルールによって、指示する者・作業する者が労働時間の枠内で仕事を終わらせるために生産的に自分の頭で考えて仕事をするようになるのではないだろうか。
 何も考えないで「作れ」と指示することと、指示されたから無茶してまで作業することは、単なる思考停止であると私は考える。

 

4. 個人での仕事ではなく、チームとしての仕事にこだわっている

 上記セメント作業の例にあるように「帰るときは皆一緒に」という不文律が敷かれているかのようであった。
 「あいつばかり早く帰りやがる」というのも「帰るときは皆一緒に」という不文律を侵したがために非難されているのであろう。

 なぜ「チームで皆一緒」にこだわるのかは私にはさっぱり理解ができない。無駄なだけである。
 その時に応じて早く帰る人がいてもいいではないか。あまりにも仕事量が偏るのなら交代制にすればいいじゃないか。それがその人しかできない仕事なのだったら教育すればいいじゃないか。
 なぜかそういった改革は行われず、皆揃って夜遅くに退勤という事態が慢性的に続いているのだった。

 「チームで皆一緒に」は良く機能するときもあれば、合理性を欠く場合もある。
 特に退勤については皆一緒に帰る必要なんて全くない。
 仲良しグループではないのだ。

 

5. トップが思い付きで仕事を押し付けてくる

 これらの問題の根源はトップ、すなわち社長にある。
 社長がルールを制定しないからこういった混沌としたことになるのであり、無駄が是正されないのである。
 労働時間が曖昧になるのである。割増賃金が有耶無耶になるのである。

 加え、社長自身が混沌を引き起こす張本人となる場合もある。
 思い付きで仕事を増やすのは朝飯前(「階段を作れ」)。急に方針を転換する。無計画。

 世の中の会社の殆どは社員の善意によって成り立っているのではないか。
 あまりにも「行動力だけがあって計画性のない」トップが多すぎるのである。

 大部分の会社は内部から崩壊する。
 社員が愛想を尽かして善意が枯渇したときである。
 馬鹿なトップについて行けず、優秀な社員や献身的な社員が離れていった時である。

 とどのつまり、トップのわがまま・無計画によって理不尽な長時間労働は引き起こされるのである。