【経験則】自分に向いていない・やりたくない仕事はさっさと辞めるべき

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 人には向き不向きがあります。それがつまり個性というやつです。みんなちがってみんないい。

 例えば学生時代には数学が得意な人もいれば、他の教科は優秀なのに数学だけ苦手という人もいたでしょう。勉強は苦手だったけど、美術の時間にすごく上手な絵を描く人。スポーツが得意な人。陸上は得意なのに、水泳は苦手だった人。勉強も運動も苦手だけれど友だちがたくさんいた人。少ない友だちと深く付き合う人――など。

 みんなちがってみんないい。どれもが正解。もちろん、学校の先生は児童や生徒を採点・評価しなければならないので成績が優秀な人とそうでない人というのが出てきますが、それも「学校の成績」というたった一つのものさしで私たちを評価したものに過ぎない。「友だちに信頼される人」「行儀が良い人」「行動力のある人」などというものさしが学校にあったなら、私たちがもらった通知表はまた違ったものになっていたでしょう。

 で、私たちはいずれ社会に出なければなりません。学校と違って社会には通知表はありませんが、それ以上に厳しい評価が待ち受けています。

 

理想と現実の違いは当たり前 ―私の就農経験

やりがいがあるかどうかは、入社してみないとわからない

 やってみて駄目だったら、諦めて違うことにチャレンジすればいいと私は思っています。

 特に社会というのは巨大なブラックボックスのようなものです。憧れて入社した企業でも、実際に仕事をしてみると理想と現実の違いを痛感する場合が多いと思います。実地で仕事をしてみるまではそれが自分に向いているか・向いていないか、やりたい仕事か・そうでないかなんて誰にもわからないものなのです。

私の就農体験 ―理想と現実の乖離

 私は農業法人に就職し、米作りをしていたことがあります。就農・農業と言うと悠々自適で、自由で、のんびりというイメージかもしれませんが、実際にはそんなことはありませんでした。決められた期間内に50ヘクタール超の圃場に全て田植えをしなければならない。天候にも左右されるので、長雨でスケジュールが遅れるとストレスは増していく。田植えが終われば間断なく草刈りや農薬散布、水管理。そうこうしているうちに秋になり稲刈り――。

 特に春から田植えが終わる初夏あたりまでは厳しくて、その3ヶ月間1日も休みなく朝から晩まで働いている人はザラでした。私は研修という立場だったのでそこまで厳しくはなかったですが、それでも田植え時期には1ヶ月半もの間休日が一日も貰えず、朝から晩まで肉体労働でした。結局、激務の田植えはこなしたものの、その一ヶ月後、稲刈りを待たずに辞めました。

 悠々自適に憧れて就農したわけではありませんでしたが、それでもこの理想と現実の乖離は凄まじかったのを覚えています。

 

頑張って耐えることが美徳である時代は終わった

やりたい仕事じゃなかったから辞めた、それだけの話

 もしかしたら「考えが甘い」とか「仕事はやり遂げろ」とか「逃げるな」とかいう意見もあることでしょう。でも私はそうは思わない。

 正直なところ体調不良(抑うつ状態との診断)が原因で退職したわけですが、もし稲刈りまで頑張っていても私にとっては何も得るものがなかったと思うのです。ただ単に「耐えた」という嬉しくない実績が付くだけです。

 私は特に農業を学びたいわけではなかったし、目的を共にする仲間と目標を達成したいわけでもなかった。それなりに仕事をして生活するだけの賃金をもらえればそれで満足だったのです。だったら就農なんてするなと言われそうですが、たまたま面接を受けたら内定を貰ってしまったのでした。

 私にとっての仕事の目的は「ストレスの溜まらない職場で」「休日がきちんと確保されていて」「生活していくための賃金が貰える」というただそれだけのこと。上記農業法人では私の望みが叶えられそうにないし、数ヶ月取り組んでみても「やりがい」も全く感じられなかったので潔く退職をしたというただそれだけのことです。

「3年は辞めるな」の嘘

 よく「就職したら3年は頑張れ」ということを耳にします。もちろん、最初は嫌々やっていた仕事だったけれど数年間取り組むうちにやりがいを感じられるようになった、という人もいることでしょう。だから「就職したら3年は頑張れ」という常套句が全て間違いであるとは思いません。

 ただ、3年間耐え続けることが目的になってしまうのは大きな見当違いであると思うのです。明らかに自分のやりたい仕事はこれじゃなかったのに3年間耐えても仕方のないことであるし、大きなストレスを抱えながらも義務感に駆られてただ耐え忍ぶことは体調不良を引き起こす原因になってしまいます。

 

誰にでも向いている場所がある

企業が求めるステレオタイプな人材像

 「割れ鍋に綴蓋(とじぶた)」という諺があります。「どんな人にもお似合いの相手がいる」という意味ですが、社会においても誰にでも向いている場所があると思います。

 特に現在では、仕事におけるセールスマンの位置が尊ばれていることが原因で、「リーダーシップの取れる人物」「コミュニケーション能力のある人物」「外向的な人物」が企業に好まれる傾向にあるように思います。では、私のように「リーダーシップが取れない」「コミュニケーション能力もそれほどない」「内向的」な人は社会で生きていけないのかというと、決してそうではありません。

 もちろん、努力や思考転換によってリーダーシップの取れない者がリーダーの素質を備えることはできます。リーダーにも様々なタイプがおり、サッカー日本代表ハリルホジッチ監督のように強力なリーダーシップでチームを率いる人もいれば、2016年にプレミアリーグを制したレスター・シティーのラリエリ監督のように選手にあまり指示しないで成功を収めた人もいます。やりかたは千差万別です。

やりたくない仕事はストレスなだけ

 リーダーになりたい人はそのように努力すれば良いのですが、では特段にリーダーなりたくない人は? 努力をしたけれどやっぱりリーダーの素質がないことに気づいた場合は?

 リーダーになんてならなければいいのです。やりたくないことに時間を費やさなければならないほど人生は長くありません。そこがどうしてもリーダーシップを発揮するように強制される職場であるなら、それは向いていない職場であるということです。どんなにコミュニケーション能力があって、リーダーシップを発揮することができたとしても、やりたくないのならやる必要はない。ストレスなだけです。

私が出勤を減らすことで自分の場所を作った話

 私は数年間の社会経験の中である時、組織の中で人を統率することよりも、一人で試行錯誤しながら物を作り上げるのが好きだということを自覚しました。組織の中で働いている時はどんなに成果が上がっていたとしてもストレスフルに感じてしまう。そのことに気づいて私はわがままを言って出勤日数を減らしてもらい、残りの時間は家で過ごすことにしました。収入の多寡はさておき、その方が自分に向いているからです。

 このようにして私は自分に向いている場所を自分で作り上げました。ないなら自分でつくればいいのです。それも生き方のうちの一つ。

 つまりは、就職・転職市場の言う「リーダーシップの取れる人物」「コミュニケーション能力のある人物」「外向的な人物」に惑わされる必要なんて全然ないということです。「指示待ち人間」も「静かな人」も「考えすぎてしまう人」も立派な個性。社会に不必要な人物なんていない。いたとすれば、それはその仕事に向いていなかったというだけの話。ちょっと居場所が違ったというだけのことです。

 

自分が何がしたいのか気付こう

ダメ人間はいない。居場所がちょっと違うだけ

 そう、社会に不必要な人物なんていない。いたとすれば、それはその仕事に向いていなかったというだけ。

 チームで仕事をするのに向いている人もいれば、一人で試行錯誤するほうが向いているし好きだという人もいます。優劣はありません。必ずしもチームで仕事をしたほうが高い成果を挙げられるわけでもない。

 営業の仕事をしているけれど全然成果が上がらないし、楽しくもないし、別に成績を上げたいとも思わない。こういう場合はやはり営業という仕事に向いていないと考えられます。間違っても「営業に向いていないからダメ人間」ではありません。国語は苦手だけど数学は得意というように、営業が苦手だっただけの話であって、人間性や能力の問題とは何も関係ない。

 私は大学受験の際、どうしても数学が苦手だったので数学で良い点数を取ることは諦めて、その分のエネルギーを他の教科へと注ぎました。数学を受験科目として使わない国公立大学に照準を絞って勉強し、果たして現役で合格しました。

 営業の仕事が苦手だし好きでもないのにそのまま耐え忍んで頑張るということは、数学が好きでもないし受験科目にも使わないのに「皆が勉強しているから」というような理由で意味もなく数学の問題集を解いているようなものです。

向いていない仕事を続けることは不合理なギャンブルと同じ

 向いていないみたいだし、好きにもなれない仕事にしがみついていることはギャンブルと同じであると私は考えています。今はつらいけどもしかしたら何か得るものがあるかもしれないと闇雲に頑張ることは、今は負けているけれどそのうち勝てるかもしれないとパチンコ台にしがみついていることと同じです。

 であれば、自分が努力を支払ってもいいと思う分野においてきちんとした展望を持って努力を支払ったほうが合理的ではないでしょうか。つまりはやりたいと思えない仕事は辞めてしまったほうが自分のためです。

 もし、何もやりたいことがないのであれば「給料をもらえればいい」と割り切って仕事をすることが肝要だと思います。必要以上の努力を仕事に注ぎ込むことは、ただ給料をもらうだけの仕事には不釣り合いです。

 万が一、私のように仕事さえ死ぬほどしたくないのであれば、しなければいいのです。でも人は自立して生きていかなければならないので最低限度の稼ぎは必要になってきますが、地方都市であれば月10万円も稼げれば暮らしていけます。月10万円を稼ぐためにはフルタイム週3〜4日の出勤で済みますから、仕事のストレスは大幅に軽減されるでしょう。そのような人生があってもいいと私は思います。