科学者「子育ては人生にとって幸せではない」という衝撃の結論

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 私は子供があまり好きではない。未婚であり、当然ながら子供もいない。その予定もないし、そんな予定いらない。
 なので、人生の先輩たる大人たちが「子供が生まれたら人生が変わるよー」とか「毎日子供の顔を見ることが幸せだー」とか「子供のことを思うと仕事を頑張れるー」とか言っているのを聞いても、何の感興ももたらされなかった。
 嘘つけ、とさえ思う。逃れられない運命を正当化しようとして強がってるだけだろ、と。

 従って私は、例えば、「結婚が健康に与える5つのリスク」や「子供を持つとこれだけ自分の時間がなくなる」というような、結婚や子育てをネガティブなものと捉える記事を見つけては、ひとり悦に浸っている。
 ざまあみろ、私は負け犬ではない。勝者だ、と。

 そして、この度、私の悦を最高潮にまで引き上げる研究結果を見つけてしまった。
 つまりは、「子供を持つことは人生にとって満足感を高めるものではなく、むしろ減少させるものである」という結論である。

 

親になる前のほうが幸せだった

 ヨーク大学の心理学者ニック・ポータヴィーが『ザ・サイコロジスト』に寄せた論文よれば、前述の通り、「殆どの人にとって、子供を持つことは人生にとって満足感を高めるものではなく、むしろ減少させるものである」と結論づけている。

 加えて、この研究結果の内容は、彼ひとりがそのように主張しているわけではない、ということも重要である。
 つまりは、それ以前の数々の研究によっても、「子供を持つことは人生における満足感や幸福度を高めない」と示唆されているのである。
 何千人もの人々に何年間にも渡って、人生の幸福度について追跡調査、繰り返し質問し続けてきた結果がこれであり、かなり正確な意思が反映されているとみなして良い。

 そう、それは偏ったデータではないのである。
 嘘だろ? と思うだろうか。ええ、思うでしょう。

 でも嘘じゃない。マジ。
 結論。人間にとって子供を持つことは、少なくとも幸せを減少させるものである。

 

なぜ嘘だろ? と思ってしまうのか

 確かに「子供ができると人生変わるよー」と言っている人が多数であり、「子供のために仕事を頑張れる」というのも本当のことであろう。
 少なくとも私は年中不幸な顔をして子育てをしている人を見たことがないし、私の両親も、それなりにポジティブに私を育ててくれたと感じている。ありがとう。

 ではなぜ、この「殆どの人にとって、子供を持つことは人生にとって満足感を高めるものではなく、むしろ減少させるものである」という研究結果について、特に今子供がいる人たちは、嘘つくな! そんなわけない! と思ってしまうのか。
 それは、「焦点の錯覚」のせいである。

 

「焦点の錯覚」とは?

 我々は人生がつまらないなと思う時、例えば、仕事を変えれば全てがうまくいく気がしてしまう。
 なんだか不幸だなと思う時、結婚さえしていればもっと幸せな人生だったのに、と思い込んでしまう。

 残念ながら、それは勘違いであり、それが「焦点の錯覚」である。
 仕事を変えても、結婚してたとしても、状況はそんなに変わっていない。
 つまらないものは形を変えたつまらなさとして去来し、不幸と感じることは違った要因で不幸として振りかかるだけの話だ。

 つまり「焦点の錯覚」とは、仕事や結婚、子育てという人生の大きな局面であり、重要な要素を占めるように見えるもの(焦点)を過大評価(錯覚)してしまうことである。

 人生は様々な要素が絡み合って出来上がっている。仕事を変えること、結婚をすることは、実は人生のほんの一部分に過ぎないにも関わらず、それだけが重要だと思い込んでしまうこと、それが「焦点の錯覚」である。

 仕事を辞めたい、人生をやり直したい。けれど、うまく行かないたった一つの理由

 

子育てにおける「焦点の錯覚」

 つまりは、「子育てが不幸だなんて、そんなわけない」と考えるのは、子供が生まれること、子育てに追われることに視点が行きっぱなしになってしまうために、他のことを過小評価しているに過ぎないというわけである。良い、悪いは別の話として。

 独身時代には好き勝手に使えたお金も、子供が生まれたら制限がかかる。好きに買えるものも限られていく。
 だけれども、目の前の子供のためと思えば、自分の本来欲しかったものなんて、雲散霧消してしまう。子供のためにお金を費やす。
 子供が生活の中心になる。
 結果、「子供がいて幸せだなー」となっているだけに過ぎない。

 子供が生まれる前と生まれた後とを客観的に比較すれば、殆どの場合、子供が生まれる前のほうが幸福度は高いとデータは言っている。
 だが、多くの人が「そんなわけない」と思うのは、今現在が子供のいる生活に埋没してしまっていて、子供のいる前の生活と今とを冷静に比較できていないせいに過ぎないのである。

 

それに対する反論2つ

 とは言え、子供が我々を不幸にするというのは、悲しい結論でもある。
 子供をあまり好ましく思っていない私だが、かつては両親に愛情たっぷりに育てられたことを、これを書きながら思い出した。
 冒頭では「ざまあみろ」なんて言っていたにも関わらず。

 なので、「子供は我々を不幸にするわけではない」という反論2つを掲載して、本稿を締めくくりたいと思うのである。

 

子育ては本能であるから幸福である

 社会学者ダニエル・ギルバートの「超自己複製子」という理論は、「子供は幸福をもたらす」ことを支持するものである。
 なにやら難しそうな言葉だが、要するに、「人間は本能的に子孫を残そうとする」ということである。例え自分が命を落としたとしても、優秀な遺伝子を後世に残そうとする習性がある。

 もちろん、その本能がなければ今の人間社会は存在しておらず、あなたも私もここにはいないのである。
 我々は、子供を生みたくて産む。育てたいから育てる。それが幸福である、ということだ。

 

「幸福度」と「価値のある時間」は違うのではないか?

 データは「子育ては幸福度、つまり満足度を減少させる」と言っている。

 満足度が減少したのはわかった。だけど、充実度はどうなの? という反論もある。
 子育ては確かに楽しいことばかりではない。だけど、喜怒哀楽がありつつ充実した価値のある時間は過ごせているのではないか、と。
 残念ながら、充実度についてのデータや研究結果は出されていないのでわからないが、一理ありそうではある。