上司が「叱れば伸びる」と誤解してしまう決定的な2つの理由

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 スパルタ、根性論、体罰が人に良い影響を与えないことは科学的に実証されつつありますが、それでも「褒めるよりも叱るほうが人は伸びる」と本気で考えている人が未だに存在するのも事実です。

 彼らの厄介なところは「善意に基づいて」そう信じているところです。「早く一人前になってもらいたい」「立派な大人になって欲しい」「ナンバーワンになる喜びを味わって欲しい」という悪意ではない純粋な気持ちがあり、それにも関わらず、「体罰を是とする」「叱れば伸びる」という間違った結論に行き着いてしまうのです。

 彼らは何故そのような間違った考え方に信念を見出し、固執してしまうのか。そこには大きくわけて2つの理由があります。いずれも人間の主観の誤り(認知バイアス)に基づくものです。

 

1. 生存バイアス ―「俺がそうだったのだから間違いない」

 生存バイアスとは、生き残った者や成功者の声が大きく喧伝されてしまうが故に誤った結論に至ってしまうことです。

 
 生存バイアスの最もわかりやすい例に「体罰」問題に対する見解があります。ニュースなどで体罰の問題が取り上げられると、テレビの中のコメンテーターやそのニュースを聞いていたあなたの上司が「昔は体罰教師なんて当たり前だった。自分が今こうして立派な大人になっているのは体罰のおかげと言っても過言ではあるまい。今の教育はぬるすぎる。体罰には良い面もあるのでは?」などと言うのを聞いたことはないでしょうか。

 これこそが生存バイアスです。この場合の生存バイアスの誤謬は下記三点に集約されます。

 
1. テレビのコメンテーターや上司という権威のある成功者が語る誤った意見に周囲が納得してしまいかねないこと。「あの人が言っているのだから本当に違いない」と。

2. 「体罰」と「今の立派な自分」の間に因果関係があるのかどうかが不明であること。体罰を受けていなければもっと立派な人間になっていたかもしれない。

3. 体罰を受けたことが嫌な記憶として残っている人もいるはずなのに、その意見が反映されないで「自分がそうだった(体罰のおかげで立派になった)のだから間違いない」と独善的に意思決定をしてしまうおそれがあること。

 
 このように考えれば「叱れば伸びる」というのも一種の生存バイアスであると考えることができます。「自分は新人時代にたくさん叱られた。そのおかげで今の自分がある。従って、叱ることで人は伸びる」と考えがちになってしまう人がいるということです。

 
 私事ですが、初めての転職で入社した零細企業の社長に「君は仕事で泣いたことがあるかい?」と聞かれたことがありました。いかにも、「仕事で泣いたことがない奴は仕事に本気で取り組んだことがない」「仕事で泣いたことがない奴は挫折経験がないから打たれ弱い」というステレオタイプを私に当てはめようとしているのだというのが見え透いていて嫌な気分になったものですが、今思えばそれも一種の生存バイアスだったのでしょう。

 それは「俺は仕事で泣いたことがある。その悔しさがあったからこそ今こうして立派に社長をしている」という主観のみに基づく認識です。だけど、客観的に見れば、社長なんてものには役所に紙を提出しさえすれば誰にでもなれるのであり、その零細企業は社員に給与が支払われなかったことが今までに一度や二度ではないという無能な自転車操業ぶりを発揮していました。

 「叱れば伸びる」というのは「仕事で泣いたから今こうして立派に社長をしている」というのと同じくらい荒唐無稽で、客観的な実証のない生存バイアスによる誤謬に過ぎないのです。

 

2. 平均への回帰 ―良い/悪いはランダムで変動する

 学生時代、学業成績の良い人もいれば勉強の得意でない人もいたでしょう。だけど、成績の良かった人がテストでずっと90点以上をキープしていたかというと、実はそうでもないはずです。得意科目において100点の時もあれば、得意であるにも関わらずなぜか調子が悪くて75点くらいだったことも一度くらいはあるはず。

 逆に、勉強が得意でない人がずっと赤点だったかというと、そうでもないでしょう。20点の時もあれば、運良く50点を取れた時もあったはずです。たまたま80点を取れたこともあるかもしれません。

 20点の時もあれば80点のときもある。このことを「平均への回帰」と言います。

 
 「平均への回帰」という簡単そうで一筋縄では行かない概念を非常に簡単に解説しているのがノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマンによる行動経済学の解説書『ファスト&スロー』です。

 私は教官たちを前にして、スキル強化訓練における重要な原則として、失敗を叱るより能力向上を誉めるほうが効果的だと力説した。この原則は、ハト、ネズミ、ヒトその他多くの動物実験で確かめられている。
 私が感動的な講義を終えると、ベテラン教官の一人が手を挙げ、自説を開陳した。(略)訓練生が曲芸飛行をうまくこなしたときなどには、私は大いに誉めてやる。ところが次に同じ曲芸飛行をさせると、だいたいは前ほどうまくできない。一方、まずい操縦をした訓練生は、マイクを通じてどなりつけてやる。するとだいたいは、次のときにはうまくできるものだ。だから、誉めるのはよくて叱るのはだめだ、とどうか言わないでほしい。実際には反対なのだから。

『ファスト&スロー(上)』ダニエル・カーネマン、ハヤカワ文庫、P311

 
 留意すべきは、教官は訓練生をただ怒鳴りつけたいがために叱っているのではないということ。教官は長年の経験から「叱った後には上手になる」ことを確認している。訓練生には早く上達して欲しいので、下手なことをした際には「叱る」のです。それは教官にとっては極めて効果的に思え、それが故に彼にとっては合理的な行為でした。

 「失敗を叱った後には必ず上手くできる」という圧倒的事実があります。だけど、それでも「叱ることには全く意味がない」というのです。これはどういうことでしょうか。

 ダニエル・カーネマンによる答え合わせが下記です。

 この教官は正しい――がまた、完全に間違ってもいた。彼の観察は鋭く、事実に即している。教官が訓練生の操縦を誉めたときは次回にへたくそになり、叱ったときには次回にうまくなる。そこまでは正しい。だが、誉めるとへたになり、叱るとうまくなるという推論は、完全に的外れだ。教官が観察したのは「平均への回帰(regression to the mean)」として知られる現象で、この場合には訓練生の出来がランダムに変動しただけなのである。(略)教官が訓練生をどなりつけるのは、平均を大幅に下回るほど不出来だったときだけである。したがって教官が何もしなくても、つぎには多かれ少なかれましになる可能性が高い。つまりベテラン教官は、ランダム事象につきものの変動に因果関係を当てはめたわけである。

『ファスト&スロー(上)』ダニエル・カーネマン、ハヤカワ文庫、P311-322

 曰く、「叱ったから上達した」のではなく、「叱った後、たまたま上手にできた」に過ぎないというのです。「叱る」と「上達」の間には何の因果関係もなく、訓練生の「上手/下手」は完全にランダムによって決定されるのです。

 例えば「テストで20点という最悪の点数を取ってしまって両親や先生に叱られた。だけど次のテストでは少なくとも20点よりも良い点数を取ることが出来た」。この場合、「叱られたから」良い点数を取れたのではなく、「平均への回帰」によって次のテストでは最悪だった20点よりも良い点数を取れたというだけに過ぎないのです。

 
 出来/不出来はランダムで発現されます。だけど人は物事に対して強引に因果関係を当てはめたがる習性があるので、そのランダムに意味をもたせるために「不出来のときに叱りつけたら、次は上手くできた。なるほど、叱ったおかげだ」と考えがちなのです。だけど、真実は単なるランダム。因果関係を勝手にこじつけられて叱られては堪ったものではありません。

 「叱れば伸びる」のは叱った当事者にとっては本当のように見えるのかもしれません。だけど、「平均への回帰」という目に見えないフィルターを通してみると、その真実性は危うく揺らいでくることがわかるでしょう。「叱れば伸びる」は幻想であり、誤りであるというわけです。

 
 ちなみに、上記の『ファスト&スロー』は人間の理不尽で不合理な行動について科学的エビデンスに基づいて詳しく・わかりやすく解説された唯一無二の本です。面白い上に役に立つ。絶対に読むべき本というのがあるとすれば『ファスト&スロー』であると断言できる。読む前と読後では見える世界がはっきりと変わるはずです。