あまりにも怒りに身を任せて周囲に迷惑をかけることが頻発してしまっていて、これではいけない、改心しようと心に誓ったのでした。
まず「私は怒りや癇癪の衝動が抑えられない病気みたいなもの」であると認識することから始め、怒らないことに最大限に気を払った生活を志向することからはじめました。慌てない、深く考えない、深呼吸をするなど、簡単にできて効果的なことは意外とたくさんあるものです。
その中で出会った『「怒り」がスーッと消える本』(水島広子・著)は多くの気づきを与えてくれる素晴らしいアイデアに満ちた書籍でした。考え方ひとつで人は怒ることも怒らないこともできる。それなら、怒らないほうが良い。そのための具体的な考え方を豊富な事例とともに気付かせてくれるものです。
本書の中からもう二度と衝動的に怒らないために参考になったこと備忘録的に書き記して行こうと思います。
1. 「被害」に遭ったと感じると人は怒る
「人に侮辱された」「予定が狂った」「他の人が怠けてやがる」――このようなケースで人は怒りを感じたりするものですが、全てに共通するのは被害に遭ったと感じて怒ってしまうということです。「侮辱されて傷ついた」「予定通りに行かなくて困った」「自分だけ真面目にやっていて馬鹿馬鹿しい」という感情から怒りは発生します。
しかし、よく考えてみると、この「被害に遭ったと感じる」という感度は人それぞれであることに気づきます。同じことを言われても「侮辱された!」と捉える人もいれば「そうなんだー」と何とも思わない人もいる。逆に「そんなことを言うなんて心が狭くてかわいそう」と怒るどころか哀れんで同情する人もいるかもしれない。
「被害に遭った」と感じるのは単なる個人の感想です。であれば、それを「被害」と捉えるか捉えないかも自分次第であるということです。被害の感情は自分でコントロールできるということ。
「被害に遭った」と考えない癖を付けることで怒らないことが可能なのです。
2. 怒りは心の悲鳴である
本書『「怒り」がスーッと消える本』では、怒りを「困ってしまった自分の心の悲鳴」であると定義しています。
つまり、怒りを感じたら「いま自分は困っていて心が悲鳴を上げている状態だ。何に困っているのだろう」という視点を持つことによって衝動的な怒りを抑制するとともに、「自分は被害者だ」「誰が悪いか」という独善的な思考を止めることができます。自分を客観視し冷静になる手がかりとなるのです。
誰かが怒っている場合、自分が怒られている場合も同じ。相手の怒りに誘発されて理性を失った言い合いになってしまう前に「相手の心が悲鳴を上げているぞ」と考えることによって、その怒りに巻き込まれて取り返しのつかない事態になる前に建設的な解決策を見いだせる可能性が高まります。
3. 全ての対人ストレスは「役割期待のズレ」が原因
本書『「怒り」がスーッと消える本』が扱う対人関係療法においては、全ての対人ストレスは「役割期待のズレ」に起因するとしています。
私たちはあらゆる人に対して、何らかの「役割」を期待しているものです。
駅ですれ違った知らない人にすら、「知らない人」という「役割」を期待しています。ですから、そういう人が馴れ馴れしく近寄ってきて、くだけた口調で話しかけてきたりすると、不快に感じるのです。
例えば、忙しい時にさらに仕事を振ってきた上司に対して怒りがこみ上げたという場合、上司に「こっちは忙しいんだ。わかってくれ」という思いが根底にはあるでしょう。自分は上司に「忙しい人に仕事を押し付けない」という役割を期待していたわけです。だけどその上司はもしかしたら「今やっている仕事が終わってからで構わないよ」と思いながら仕事を振ってきたのかもしれないのです。ここにズレがあるというわけです。
ズレを起こさないためには自分はどのような役割を期待されているか、逆に相手にどのような役割を期待しているかをきちんと伝えることが肝要になります。
このケースで言えば、仕事を振られた時に「今は手一杯なので後回しでもいいですか」「今はできないので他の人にやってもらうことはできますか」ときちんと伝えること。仕事を振る上司側としても「この仕事、今日中にできるかい? 無理そうなら構わないんだけど」「今の仕事が終わってからでいいんだけど、やってもらえるかい?」と期待する役割を明確にすることで、トラブルや怒りを未然に防ぐ事ができるのです。
4. 相手を変えようとしないこと
そう、私が人に対して怒りをよく感じていたのはこれが原因です。すなわち「相手を変えようと躍起になっていた」のでした。
人は「変わる」ことはできますが、人を「変える」ことはできません。
それぞれの人にはそれぞれのプロセスがあって、本人が変わろうと思うとき、変わる準備ができたときに、変わっていくものです。
言われてみれば当たり前のことなのですが、独善的な考え方に支配されてしまうとなかなかそのようには思い至らずにイライラを募らせる結果となっていたのでした。雑な仕事をする人、自分勝手な人、約束を守らない人、何も考えていない脳天気な人のその性格が許せずに「何で自分ばっかり苦労させられるんだ。お前らもちゃんとやってくれ」と一人で悶々とストレスを溜めていることが多いことに気づきました。
相手を変えようとするとストレスになる。自分が我慢しすぎてもストレスになる。であれば、残されているのは自分が選択する余地です。自分の考え方を変えてみることでストレスや怒りを遠ざけることができるということです。
「自分は状況をコントロールすることができる」という感覚を取り戻し、「被害者」から脱すると、怒りを手放すことができるのです。
我慢して耐えるのではなくて自分で状況をコントロールすること。他人の一言に不快だと思ったら「そういうことは言わないで欲しい」と相手に伝えること。それでもストレスフルな状況が繰り返されるようだったら、会わないようにすること。相手との付き合い方は自分で決めることができると考えると楽になります。
5. 「相手には相手の事情がある」と考える
世の中にはいろいろな人がいます。せっかちで常にイライラしている人もいれば、緊張感が全くなくて常に脳天気な人もいます。こちらがゆっくり仕事をしたい気持ちの時に常にイライラしている人に急かされればこちらも不快な気分になります。逆に、こちらが急いで欲しい気持ちの時に脳天気な人にゆったりと仕事をされてもムッとしてしまいます。
つまりは捉え方次第ということです。
であれば、様々な人の無数の感情に振り回されないで常に平穏な心でいるためには、こちらの考え方を一定にしておくことが有用な戦略となります。それが「相手には相手の事情がある」と考えることです。
イライラしている人には、もしかしたらプライベートで何かがあったのかもしれません。上司に急かされたのかもしれません。あるいは、怒りとは恐怖や不安と強く関連するものですので、イライラの原因は恐れや不安であるかもしれません。それは私たちにはわかりませんが、何らかの事情があるには違いないのです。
脳天気な人についても同様です。急かされるとイライラしてしまうことが自分でわかっているので敢えてゆっくりと何も考えていないふりをして仕事をしているだけかもしれません。
6. 相手を「評価」しないこと
これも私の悪い癖なのですが、相手の悪いところを一方的に決めつけて人格否定みたいなことをしてしまうのです。仕事が遅い人がいれば「あいつは職場に遊びに来てる感覚なんだ。責任感ってものが全くない。頭が悪い。まったくふざけた奴だ」と考えてしまいがちなのでした。
私はこの自分の考え方における悪い癖について「相手を傷つけることになるかもしれないから良くないな」と考えていたのですが、実際は相手を評価することによって自分をも傷つけていたのでした。評価という暴力によって、相手を評価すると同時に自分の姿勢も評価することになっていたのです。
他人に評価を下している人は、自分への評価をとても気にしているものです。
つまり、本当の意味での自信がないのです。
ですから、ちょっとしたことで「バカにするな!」などと怒り出したりするのです。こんなピリピリした姿勢で生きることそのものが毒だと言えます。
まさにその通り、私は自分に自信がないから他人を評価していたことに気づいてしまいました。他人を評価することは、自分をも評価の渦中に巻き込むことであり、イライラの源。
この考え方は私にとっては目から鱗でした。心からもう二度と他人を評価することはやめようと思った次第なのでした。
7. 相手の言動にムカッとした時の対処法二つ
「ふーん、そう思うんだ」とだけ返す
例えば相手から「その服、似合ってないよ」と言われたとしましょう。カチンと来てしまって「うるさいな」「人の勝手だろ」「そういうお前はどうなんだ」と咄嗟に返してしまうことに良いことはありません。そこに非難の意図はなく、単なる感想だったり、「似合ってないよ。本当はもっと魅力的なのに残念」とより良くしようという意味で言ったのかもしれないのです。
それでもいきなり「似合ってないよ」と言われたらムッとしてしまうもの。その際のとっておきの方法は「ふーん、そう思うんだ」とだけ返答するというものです。相手が「うん、そうだよ」と返してきても同じく「ふーん、そう思うんだ」と返せば良いです。
評価という銃弾に当たらないように、ただ受け流すのが最も安全です。そのためには、「相手の評価に対して、何の評価も下さない」という姿勢が良いのです。
相手が悲鳴をあげていると捉える
もう一つは冒頭で少し触れましたが、「相手が悲鳴を上げている」と考えることです。相手がイライラしていたり何かを決めつけてきたりする行為を全て「相手の心の悲鳴」であり「何か困っているのだ」と捉えることによって寛容に対処できます。間違っても相手の怒りや挑発的に感じられる言動に誘発されてこちらも怒ってしまったら埒が明きません。
8. 「正しさ」にこだわらない
世の中に正しいことなんて何一つなくて、あるのは「ひとりひとりが正しいと思っていること」があるだけです。正解が存在しないからこそ自分の世界の「正しさ」を突き通そうとして人はイライラするのです。
同じ「いつも遅刻ギリギリに出社する人」に対する感想でも、ある人からすれば「ギリギリに出社とは何事だ。社会人たるもの始業時間15分前にはデスクに座っているべきだ」と考え、別の人からすれば「自分の若い頃は遅刻しまくったな。ギリギリ間に合っているだけ大したものだ」と考えるかもしれません。「遅刻ギリギリに出社」という行為が「悪い」と思うのはあくまでも個人の感想なのです。
自分の世界の正しさにこだわって、相手にそれを押し付けることによって「役割期待のズレ」が生じ、怒りが発生します。怒らないためにはまずは自分に寛容になりましょう。自分の中の「正しさ」や「〜すべき」という考え方を疑ってみることによって、肩の張らない生き方ができます。
9. 怒りは自分で選択した結果である
人は見境なく怒り心頭のとき「相手が自分を怒らせた」と考え「だから相手が言動を改めるべきだ」と思っています。探しものが出てこなくてイラついているときも同様、「出てこないのが悪い。出てくるべきだ」と思って怒っています。
だけど、その怒りは「自分で選択したもの」なのです。怒るという選択肢と別の選択肢があって、自分でわざわざそれを選んでイライラしているわけです。人は人を怒らせることはできません。全ての怒りは自分で選んだものです。
そう考えると、怒るという行為が不毛で理不尽で体力の無駄遣いであるように思えてこないでしょうか。少なくとも私は「怒りは自分で選んだ結果」という考え方を知って、世界がひっくり返るような思いがしました。自分は何て馬鹿な方法ばかりを選んできたのだ、と。
今後、万が一少しでも頭がカッとなるのを感じたら、「お前は怒りを選ぶのか? 違う道も選べるんだぞ」と自分に問うてみようと思います。その際、私は怒らない道を選ぶことができると信じています。
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