逃げろ!衝動的に2ヶ月間失踪の後、私が家に帰るまでの記録

 毎晩大量のアルコールをひとりで晩酌し「記憶がなくなる=眠る」というような生活を半年くらい続けていた。
 眠れないのが怖かったのだった。
 限界まで飲んだ末に倒れるように寝て、半分酔っ払ったような状態でいつも出勤していた。
 朝はいつも頭がぼんやりして身体が思うように動かず、そんな自分にイライラしていた。

 ある朝、着信の音で目が覚めた。上司からの電話である。朝8時半。
 遅刻だ。完全なる遅刻。

 逃げなくてはならない、と思った。なぜそう思ったのかはわからない。

 鳴り続ける電話を黙殺し、急いで普段着に着替え、財布とクルマのキーと鳴り続ける携帯電話(スマホ)を持って一目散にひとり暮らしの家を出た。
 誰にも見つかりたくなかった。

 なぜなら、逃げなくてはならないからだ。

 

目的地はない

 衝動的な逃走に目的地はない。
 ただ学生時代を過ごした隣県の方へと自然とハンドルを切っていた。
 つまり、栃木県から群馬県への移動だ。

 国道50号をひたすら西へ走る。
 圧倒的な自由がここにあった。昨日までの生きているのか死んでいるのかわからないような日々とは打って変わって、生きている感じがする。
 自由だから生きている感じがしたのではなく、逃げるという行為自体が生存に関わることだからだ。

 生きたいから逃げるのである。
 シマウマだって生きたいからライオンに狙われたら逃げる。

 群馬県に着いた。
 着いたからと言って何もすることはない。友人になんて会いたくない。学生時代に通い付けたレンタルビデオ屋の駐車場にクルマを停め、ひっそりと夜を明かした。
 携帯電話の電源は切っていた。

 

ネットカフェで寝る

 群馬にいても退屈なので南下する。
 人はやることがないと都会を目指す。

 さすがに毎晩クルマで寝るのは不健康だ。寝づらい。
 こちとら自由の身なんだ、ゆっくり寝させてくれ。

 とは言え、ホテルに泊まるのは高いだろうし気が引ける。
 というわけで、二日目以降は埼玉県あたりのネットカフェで寝ることとなる。
 金額はナイトパックで3000円〜5000円程度。もっと安いところもあるのだろうが私には情報がなかった。

 その代わりお金はあった。80万円。貯金である。
 従って、逃走初期の頃は構わずにどんどん散財した。

 

完全なる失踪を志向する

 とにかく誰にも見つかりたくなかった。ひとりでいたかった。これは紛れもない失踪である。
 たまに携帯電話の電源を入れれば、山ほどの着信履歴とこれまた山ほどのメール。
 会社から、同僚から、両親から、親戚から、遠距離恋愛中の恋人から――。

 だけど、何も感じなかった。
 逃げなければならないという使命のようなものだけがそこにはあった。
 心配してほしいわけじゃない。とにかくひとりになりたかったのだった。

 何てわがままな奴だ。だけどその時はそのようにしか判断できなかったのだ。

 実は以前にも私は仕事を放り出して失踪めいたことをしたことがある。新入社員として働いていた2年前のことだ。
 そのときには逃走当日の深夜、親からかかってきた電話に出てしまい、幕切れとなった。
 親からの説得に応じて翌日、会社に戻った。

 今回は、今回の失踪は完全なものにしなければならないとなぜか私は心を鬼にしていた。
 何と戦っていたのか、何の使命感なのかさっぱりわからないのだが、とにかく完全なる失踪を志向していたのだった。

 全ての着信とメールを無視して再び携帯電話の電源を切った。

 

クルマを手放す

 気がかりだったのは、両親が捜索願を出していたとしたら道路に設置されている「Nシステム」とやらでクルマのナンバーが読み取られて居場所が知られてしまうのではないかということであった。
 ネット検索してみても、Nシステムが失踪者を見つけるための働きをするのかどうかは不明だった。

 クルマから足がついてはよろしくない。
 夜にたまたまクルマで寝ているところを警察官に職務質問される可能性だってある。
 見つかりたくない。

 というわけで、クルマを手放すことに決めた。
 適当な場所の駅近く、カー用品店に「調子が悪いので点検してもらいたい」とクルマを預け、二度と当該カー用品店には立ち寄らなかった。
 電話が沢山かかってきたが全て無視した。

 なぜ当時の私はこんなに面倒なことをしてクルマを手放したのか、いまだに理解できない。
 生きて帰ったときにクルマがないと不便だとでも思ったのかもしれない。

 ちなみにそのクルマは、警察から連絡を受けた両親が回収しに行ったようである。お手数おかけしました。

 

八王子を拠点とする

 クルマを手放したのが失踪から一週間経った頃のこと。
 これ以降は電車移動になる。

 なかなか電車での旅というのも新鮮なもので、たまたま駅で見かけた甲府行きの電車に興味本位で乗ってみたりした。
 着いたのは夜。
 駅前にネットカフェがないという絶望。
 スマホの地図アプリでネットカフェを探し、かなり歩いた末に寝床を確保した。
 周りに何もない田舎にも関わらず料金が高くて絶望。
 田舎は失踪者に厳しい。

 せっかくの自由の身なのだから日本全国に自由気ままに旅にでも出れば良かったのかもしれないが、そんな気分ではなかったのだった。
 もう取り返しがつかないな、などと悶々と過ごす日々が続く。

 一旦実家のごく近くまで行ったが、結局は帰ることはしなかった。

 たまたま立ち寄った八王子に料金が安めのネットカフェを見つけたので、これ以降はそこを拠点として数週間過ごすこととなる。
 日中は街をぶらぶらし、夜はネットカフェでYouTubeを見たり本を読んだりしていた。
 荷物が重くなるのが嫌で、読み終わった本は即座にブックオフに持って行った。

 

食事

 コンビニでパンを買うか、その辺の店でラーメンを食べていた。
 食事には全くこだわりがなかったので、何でも良かった。
 夜は発泡酒を二缶くらい飲んでいた。

 お金が財布の中になくなったら二万円ずつくらいを引き落とした。

 

衣類・洗濯

 服や下着は三日分程度を揃え、三日毎にコインランドリーで洗った。
 秋の頃、肌寒くなってきたらカーディガンを買った。

 

同窓会に出席する

 以前から日程が決まっていた高校の同窓会(10名程度)に行った。
 何事もない風を装って、至って普通にしていた。間違っても「実はおれ、今失踪してるんだよねー」なんて言わなかったし、言いたくもなかった。
 これは以前より約束していたから出席したのであって、失踪後に連絡が来たものに関しては全て無視している。
 とてもそんな気分ではなかったからである。

 

同僚からの電話に出る

 完全なる失踪を志向するならば携帯電話の電源は絶対に入れないか、処分してしまうべきである。
 私は初めての失踪の時も、この二度目の失踪においても携帯電話で油断してしまっている。

 私はある時から携帯電話の電源を入れっぱなしにしてしまっていた。それほど電話もメールも来なくなったからである。
 特に会社からは、初めての無断欠勤日から二週間が過ぎ懲戒解雇が決定となった頃から全く連絡が来なくなった(二週間で懲戒解雇となることはあとから知った)。

 ところが、同僚にして高校の同級生である友人Aに関しては毎日のようにガンガン電話をかけてきた。
 私は友人Aに勧められてそこに入社したという経緯がある。

 その日も友人Aからの電話が鳴って、私は黙殺した。
 直後にメールが入った。
 「明日も電話をかける。絶対に出ろ。絶対だ」

 何だかわからないが圧倒されてしまった。
 電話を取らなければ申し訳ないという思いに駆られてしまった。負けた。

 翌日、予告通りに着信があって、私は出た。
 怒るでもなく問い詰めるでもない様子で、どこにいるのか、何をやっているのかを私に聞いた。
 私は、自分でも何をやっているのかわからないが今は戻る気にならない、と話した。

 まー生きてるならいいよ、と彼は言って電話を切った。

 

お金が減ってきた

 80万円あったお金もたった一ヶ月で目に見えるほどに減った。
 そりゃそうだ。
 宿泊費+食費+娯楽費で一日平均一万円以上は使っていた計算だ。

 ここのところはナイトパック3500円程度のネットカフェで夜を過ごしていたが、もっと安い宿泊場所はないのだろうかとネット検索したところ、北千住に格安のネットカフェがあることを知った。
 さよなら八王子。

 

ハロー、北千住。格安ネットカフェに居を移す

 そこのネットカフェは一泊でも可能であるし、一ヶ月パックというシステムもあった。前払いで25000円程度。
 一ヶ月間出入り自由。シャワールームもある。一泊1000円以下。安すぎる。

 一ヶ月パックを支払ってしまったら今後一ヶ月はこうやって失踪し続けなければならないことが確約されたような気がして気が引けたのだが、安さには負けた。

 それに出入り自由で時間に縛られないのは魅力だった。
 八王子にいた時には毎晩ナイトパックで宿泊していたのであり、時間になったら退店しなければならなかったし、入店する際もナイトパックが始まる時間まで待たなければならなかったのだった。
 24時間いつでも居られるプライベートスペースがあるのは助かる。

 今後は北千住を拠点にして活動していく。
 とは言え、基本的にインドアである。

 夜は発泡酒を飲みながらYouTubeを見たり、自分の運営していたウェブサイトのデザインを直したり、mixiに日記を書いたりしていた。
 割と正気であるが、昼夜逆転の生活になっていた。

 

おれは一体何をやっているのかという思い

 お金は確実に減っていく。
 心配をかけている人がいる。

 孤独ではなかった。むしろもっと孤独になりたかった。
 社会人失格だし、人間としても失格の烙印を押されたようだった。

 今、こうやって誰にも見つからなければ誰にも責められることはない。
 だけど、いつまでもこうしているわけにはいかない。お金がない。
 お金を稼ぐには社会に出なければならない。
 だけどおれは社会人失格だ。

 帰りたくない、誰にも会いたくない。
 だけどいつまでもこうしているわけにもいかない。

 負の堂々巡りである。もやもや。

 このビルから飛び降りて死を選んだほうがマシかとも真剣に悩んだが、結局そんな勇気もなかった。
 かといって、このまま新しい生活を始める意気地もなかった。
 帰る気にはなれなかったし、誰にも会いたくなかった。
 何がしたいのだおれは。

 そうやって足踏みしながら日々を消費していった。
 ただ、不思議と後悔はなかった。

 

帰還のきっかけ

 スマホの電源はだいぶ前から入れっぱなしにしていた。

 前述の通り、当初は電源を切りっぱなしだったのだが、「機内モード」という存在に気づいてからはそれを利用し、着信が減ってきた段になるといちいち切り替えるのが面倒臭くなって機内モードにもしなくなった。
 携帯電話の電波から居場所がバレるかもしれないと当初は警戒していたのだが、どうでも良くなってしまったのだった。

 スマホでは主に地図を利用していた。
 知らない街を歩くためにどうしてもコインランドリーの場所とかネットカフェの場所とかを検索する必要が出てくる。その度に電源や機内モードのオンオフをするのが煩わしく思えたのである。

 電源が入れっぱなしの無防備状態だからメールが届けば瞬時に通知される。
 失踪から2ヶ月が経とうとしていた頃、母からのメールだった。

 「あなたの飼っているウーパールーパーだけど、育て方がわかりません。死なないか心配です」というような文脈だった。

 そう、私はひとり暮らしの家にウーパールーパーを飼育していたのであり、失踪中はそのことが唯一気がかりだった。
 母からのそのメールでハッとした。
 間抜けな話だが、ウーパールーパーが大変に心配になってしまったのだった。

 母からは以前からメールや留守電で山ほどのメッセージが来ていた。
 「生きているのか心配です」「そろそろ帰ってきたらどうですか」「みんな心配してます」
 だけど、私の心を動かしたのは、私が飼っていたウーパールーパーだった。

 

帰宅 ―失踪の終わり

 実家に電話をかけて帰る日取りを伝え、約束通りに帰った。
 両親は至って冷静だったが、心は憔悴しきっていたようだった。

 怒られもしなかったし、何も詮索されなかった。
 頑固親父の父が「しばらくゆっくり休みなさい」と優しい言葉をかけてくれた。

 久しぶりに温かい布団で眠った。

 私も相当疲れていたのだろう、夜の10時に入眠し翌日の午後4時まで眠り続けた。
 安心して眠り続けた。

 

まとめ

 以上が私の二ヶ月間に渡る失踪の概要である。
 ここから学ぶべきことは何もない。

 ただ、私は今生きている。あれから5年以上の月日が経ち、その中でもいろいろあったけれど生きている。
 自分なりに前向きにゆるりと生きている。
 
 そして、これを読んでいる人はいま失踪中・逃走中の身かもしれないし、これから失踪を画策しつつある人かもしれない。
 生きろ、だなんておこがましいことは言わない。

 けれど、少なくともいま生きている。そうだろう?
 素晴らしいことじゃないか。

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