断捨離・ミニマリズムは「衝動」であり、節約・倹約は「計画」であると私は考えています。私は節約が好きで月10万円で生活することを目指しています。
東日本大震災以降、断捨離・ミニマリズムのちょっとしたブームが起きたようでした。ちょうどその時、私は所有していたCD1000枚近くを全て処分したところだったので、その断捨離・ミニマリズムの考えには共感した記憶があります。「本当に必要なものだけを所有する」「身軽に生きる」「モノから自由になる」など。
しかし、極端な断捨離・ミニマリズムの考え方や実行者を知るにつけ、節約を志向する私の考えとはズレがあるようにも思えてきたのでした。断捨離・ミニマリズムを実行している人たちは、どうやら合理性を追求しているわけではなく、節約を志向しているわけでもなく、計画性があるわけでもなく、ただ単に「捨てたい衝動に駆られたから捨てている」らしいと気づいたからです。
節約・倹約という計画的なゲームを楽しんでいる私にとって、衝動にまかせて捨てるというのはちょっと共感できかねる部分であります。定期的にモノを捨てたい衝動に駆られるという私の友人Bを例にとって説明していきましょう。
ミニマリスト・友人B
一見慎ましい暮らしだが…
彼の部屋は常に綺麗で整理整頓されていた。一般的に男性の一人暮らしというとかなり荒れ放題な部屋を想像しがちだが、友人Bの部屋にはそのような自堕落な要素は何もなかった。埃一つなく、全てが整った部屋を見渡しながら彼は「この部屋、まだ汚いんだよね」と真剣な顔で言っていた。私は自分の部屋が恥ずかしくなった。
そんな彼だが、長く付き合ううちにだんだんと性格がわかってきた。物欲は人一倍旺盛である反面、とにかく飽きっぽいのである。
彼が部屋の配置換えをこまめに行うのは合理性を追求するからではなく、なんとなくレイアウトに飽きてくるからなのだった。勤勉ゆえの行為ではない。彼が不用品を頻繁に処分するのは整理整頓をしているというよりは、物欲によって手に入れた物に飽きてきて捨てたいから捨てているというだけの話なのである。
一見、整頓された部屋で慎ましく暮らしているようだけれど、そこでは「買う→捨てる」が物凄い速さで繰り返されているのであった。
友人Bのエピソード
・テレビが欲しくなって買ったが、不要になって数ヶ月で処分した。だけどやっぱり欲しくなって新しいテレビをすぐに買った。
・前から欲しかったデスクトップパソコンがセール最終日で売られていたのを見かけてしまったので衝動買いしたが、結局、手に入れただけで満足してしまい、邪魔になって1ヶ月後には処分した。
・タブレットを買ったが数カ月後に処分した。で、その直後「タブレットが欲しい」と言っていた。
・半年ごとに新しいカバンを買って、古いカバンは捨てていく。
・「こないだ買ったやつ、使い心地どう?」などと尋ねると、たいてい「ああ、あれ捨てたよ」と返ってくる。
断捨離は確かにスッキリする ―私の経験談
断捨離・ミニマリズムにおいては「捨てる」ことに力点が置かれていることは言うまでもないことですが、そこには私たちが「捨てることのできない人」であるという大前提があります。
もちろん、不用品を処分することによって生活は効率化され、気持ちもスッキリし、重要なことだけに集中できるというかけがえのないメリットがあります。冒頭で述べた通り、私もCDを全て処分したことを契機として身の回りのもので不要なものや無駄なものの処分を始めました。使っていない食器は容赦なく処分し、趣味で集めた置物も捨てました。
その結果、部屋も気持ちも大変に清々しい気分になったことをはっきりと覚えています。その後に訪れた引っ越しはそれまでとは比べ物にならないほど楽でした。
断捨離することによって無駄遣いが増える場合もある
しかしながら、世の中には過剰なる断捨離・ミニマリズムを実行する人もいて、例えば、所有することを最小限にすることを目指して洗濯機を処分したりする人もいます。洗濯はコインランドリーで行うようです。人それぞれなのでそれはそれで構わないのですが、節約という観点から見ると洗濯機を捨てることは不合理です。洗濯機を買って一年も使えば、コインランドリーで洗濯を行う分の元は充分に取れます。
また、冷蔵庫を断捨離する人もいて、それはそれで構いませんが、節約に繋げるという意味では合理的な選択ではありません。食品の保存が利かないので、どうしても食事を外食に頼らざるを得なくなってしまうためです。最強の節約法が自炊であることは言うまでもありません。
また、先に述べた通りに友人Bの場合も内実は「買う→捨てる」を繰り返している上に、物によっては衝動的に捨てた後に買い直していたりするのであり、無駄な出費があるように思えます。衝動的に捨てる前に、よく考えれば無駄な出費は避けられたに違いないのです。
断捨離・ミニマリズムは単なる衝動であり、生き方の問題である
私は断捨離・ミニマリズムがちょっとしたブームになって持ち上げられていた際、私はそれらが目指すものは「合理性」であり「最適化」であり「倹約」であり「論理」であり「計画」であると勝手に解釈していました。「必要なものだけを周りに残しておこう。そうすれば無駄な出費が抑えられる上に、ノイズが減ることによって自分が本当にしたいことに集中できる」ということです。
でも、今となっては「断捨離・ミニマリズム」と「節約・倹約」はあまり関係がないのではないかと思っています。断捨離をしている人は「家計の最適化のために計画的に捨てている」のではなく、「捨てたいものを捨てたい時に衝動的に捨てている」だけのような気がしてきたからです。もちろんその前のステップとして「買いたいものを買いたい時に衝動的に買っている」というのがあるわけで、そこには計画性はないような気がします。
「世界一笑える断捨離」との謳い文句である書籍・中崎タツヤ『もたない男』においても、漫画家である著者が衝動的に買って捨てて買って捨ててを無慈悲に繰り返している様が淡々とした文章で描かれています。そこに計画性はなく、買いたい時に衝動的に買って、ある日捨てたい時が来たら衝動的に捨てているだけのように思います。整理整頓や取捨選択のような高貴なものでは決してない。
もちろん、全ての断捨離・ミニマリストがそういった衝動性を持ち合わせているというわけではありませんが「計画」というよりは「衝動」という側面の強いもののような気がしているのです。
私たち節約・倹約家が断捨離・ミニマリズムから学べる3つのこと
とは言え、断捨離・ミニマリズムから学べることも多くあります。
1. 時間とお金の有効活用
まずはモノが減れば時間とお金を有効活用することができるようになるでしょう。私は考えた末に自家用車を断捨離しましたが、それによって維持費の節約と「なんとなくクルマで出かける」という無駄で散漫な時間の撲滅をすることができました。休日は自宅で趣味に集中する時間が増えたので、クルマの処分によって幸福度が上がった気がします。
もちろん、全ての人にクルマの処分を勧めているわけでは決してありません。私は以前から自家用車が不要になっていたので思い切って処分してみたら意外なほどにスッキリしたというだけのことです。それは例えば、着ないけれどなんとなく持っていた服を思い切って処分してみたらスッキリしたというのと同じ話です。
2. 不用品を買わない
断捨離・ミニマリズムの最小限のもので暮らすというモットーは節約・倹約に転嫁して解釈すれば不用品を買わないで無駄な支出を減らすということに他なりません。「捨てる」に焦点を当てるというよりは「予め買わない」「よく考えて買う」ということです。
3. ゆったりした自分の時間を大切にする
どうしても世の中は便利さを志向し、きらびやかさは人を誘惑するので、それらに安易に誘われてしまうと多額の出費を迫られることになってしまいます。断捨離・ミニマリズムにおける「本当に大切なものだけに囲まれて生活する」ということは自宅を最も居心地の良い場所にすることに繋がります。もちろん、全ての出費が悪であるというわけではありません。
私の例で言えば、自宅でこうしてコーヒーを飲みながらこの原稿を書いています。読書が好きなのでブックオフの100円コーナーを探索して買ってきた本を読んでいます。植物を育てるのも好きなのでホームセンターの園芸コーナーに足繁く通って珍しいものがあればつい買ってきてしまいます。
こうして物を減らしたり増やしたりしながら、自分で考えて自分のテリトリーを居心地の良い空間に仕立て上げていくことは幸福なことであると思います。
まとめ:節約・倹約のためには考えて捨てよう/残そう
過剰なる断捨離・ミニマリズムは単なる衝動の発露であり、計画性を基本とする節約・倹約とは完全には相容れないものです。しかしながら、その姿勢から学べることが多いことも事実です。
節約を志向する私たちがすべきことは、断捨離・ミニマリズムの衝動性に飲み込まれることなく、自ら考えて計画性や長期的視点を持って「捨てる・残す・買う」という選択を果たすことではないかと思います。
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