認知行動療法というと、うつ病の改善に用いられているというイメージがあるかと思います。認知行動療法とは、私の解釈で一言で表せば「自分の考え方の癖に気づこう。その考え方をちょっと変えてみることによって気持ちを楽にしましょう」ということです。
たしかに、認知行動療法が知られることとなったきっかけはうつ状態の改善によるものであったのですが、それはうつなどの重度の精神疾患を改善するためだけに有用なものではありません。認知行動療法的アプローチは我々の暮らしにおいて、例えば、小さなストレスへの耐性を付けたり、余計な不安を解消したり、先延ばしの癖を直したりと様々なシーンにおいて応用が可能です。
そして、認知行動療法の考え方を取り入れることによって、本稿の論旨であるアンガーマネジメント、つまりは些細なことでイライラしたり怒ったりしない人になれる可能性をも秘めているのです。難しいことでは全くありません。
認知行動療法とは?
冒頭において認知行動療法とは「自分の考え方の癖に気づこう。その考え方をちょっと変えてみることによって気持ちを楽にしましょう」ということであると紹介しました。もう少し詳しく見ていきましょう。
「自動思考」に気付こう
考え方の癖のことを認知行動療法では「自動思考」と呼びます。ある出来事を受け止めた時に頭の中に無意識に浮かぶ考えのことです。
例えば「同僚の態度が自分に対して何だか昨日よりそっけない気がする」という場合、100人いたら100通りの考えが頭に浮かぶに違いありません。「プライベートで何か嫌なことでもあったのだろうか」「体調が悪いのだろうか」「私、何か悪いことをしてしまっただろうか」「きっと私は嫌われてしまったに違いない」「あんな冷たい態度は許せない」「落ち込んでいるみたいだから励ましてあげよう」「むしろこちらの態度がそっけなかったのだろうか」「気のせいかな」――など。
同じ出来事に対して我々はそれぞれに違った解釈を与えているのです。そして、その我々一人一人が勝手にラベルを貼りつけた解釈によって落ち込んだり・落ち込まなかったりするというわけです。そう、我々は出来事によって落ち込んだり怒ったりするのではなく、出来事を自分の中で解釈し意味付けをすることによって落ち込んだり怒ったりするのです。
「自動思考」は各々の信念から来る
上述の同僚の態度がそっけないという場合、「体調でも悪いのかな」とあまり深く考えない人と「自分は嫌われてしまったに違いない」と自分を追い詰めて考えてしまう人がいます。後者のタイプの人は「自己評価が低く、自分は他人に迷惑をかけている」という思いが根底にあるために、例えば、上司から怒られれば「自分はいつも仕事ができない」と、道をちょっと間違えれば「自分は駄目な人間だ」と、手から物を滑らせて落としてしまえば「物も持てない最低の人間だ」などと自動思考してしまいます。
この「自己評価が低く、自分は他人に迷惑をかけている」という根底にある思いのことを「信念」と呼びます。自己評価が低いので何をやっても駄目なように感じてしまうのです。
「認知の歪み」を直そう
だけど、同僚の態度がちょっとそっけなかったことを根拠に「嫌われてしまった」と決めつけるには証拠が少なすぎます。単なる想像・妄想によって悪い方へと勝手に考えてしまって、その思いにとらわれてしまっているに過ぎません。これを「認知の歪み」と言います。同じ出来事に遭遇しても、自分を苦しめてしまう考え方とそうでない考え方がある。であれば自分を客観視することによって「認知の歪み」を是正して、自分を苦しめない考え方をしていこうというのが認知行動療法であるというわけです。
代表的な推論の誤り
認知の歪みは「推論の誤り」によって引き起こされます。証拠もないのに脳が間違って推測してしまっているということです。その拡大解釈してしまっている状態である間違った推測に気づくことによって思考を現実のレベルに引き戻すことが、特に物事を悲観的に考えがちな我々には要請されます。
代表的な「推論の誤り」をご紹介しましょう。思い当たることがあるかもしれません。
■一般化のしすぎ
「同僚に嫌われてしまった。私は社内の全ての人からも嫌われてしまったに違いないし、これからずっと嫌われ続けるに違いない」
たった一部分の出来事を全体に拡大解釈してしまうことです。たった一度の出来事を「いつもそうだ」「ずっとそうだ」などと考えてしまいます。
■自分への関連付け
「同僚の態度がそっけない。自分が何かしたからに違いない」
同僚は体調が悪かったのかもしれないしプライベートでトラブルがあったために硬い表情をしていたのかもしれないのに、根拠もなく自分のせいだと解釈してしまうことです。
■全か無か思考
「同僚に嫌われた。全員に好かれていないなら私の価値はない」
完璧主義的な考え方です。人なんてウマの合う合わないがあって当然だし、いつも100点でなければならないなんてわけがないのに、ほんのわずかな欠点に目をつけて落ち込んでしまう傾向です。
■すべき思考
「同僚に嫌われた。会社では誰からも好かれるべきなのに」
完璧主義に関連するところもありますが「すべき」「しなければならない」と考えてしまうことです。理想が高くて良いことのように思われますが、周囲との軋轢を生んだり、自分に厳しすぎるゆえに疲れてしまったりします。
■過大評価と過小評価
「同僚に嫌われた。自分には価値がない(他にもっと問題のある人は他にいるのに)」
他人に甘く、自分に厳しすぎるということです。友人には「別に嫌われたっていいじゃん。全員に好かれる必要なんてないよ、世界が終わるわけじゃないんだし」なんてアドバイスできるのに、自分のこととなると「全員に好かれなきゃダメだ」と基準が上がってしまうことです。
認知行動療法をアンガーマネジメントに応用する
上記のことを踏まえて、「怒らない自分」になる方法を紹介していきましょう。私が認知行動療法の本を読んでから実践してみていることです。
「自動思考」に気づく=怒りのパターンを見つけよう
イライラしがちな人というのはある決まったパターンの中で怒っているもので、自分の中での怒りの法則みたいなものがあるものです。例えば私は「探しものが見つからない時」と「自分のペースで仕事ができない時」に大変なる憤りを感じます。ちなみに私の友人はオンラインゲームで負けた時にイライラしてコントローラを投げつけたりするそうですが、私はゲームで負けても怒りを感じたことは全くないのです。つまり「あらゆることに怒っているわけではない=怒りのパターンがある」はずだから、それを見つけようというわけです。
私なりの解釈では「探しものが見つからない時」と「自分のペースで仕事ができない時」に憤慨してしまうのは、「自分の頭の中の計画が邪魔されている」と自動思考してしまっているからであると考えました。
自分の信念を探る
ではなぜ「自分の頭の中の計画が邪魔されている」と感じるとイライラしてしまうのか。それはおそらく私の自己評価が低いためであると考えました。「常に完璧でなければならない」「振られた仕事は全てこなして優秀だと認められたい」「時間に遅れるようなことがあってはならない」「物をなくすなんてもってのほか」と私は考えているようで、それは「駄目な自分を見せたくない」「計画通りにきちんと物事を進めたい」という動機によって発動されているようです。
「認知の歪み」を直す=怒らない考え方を身に付ける
つまり、私の思考は下記のようになっているということです。
「探しものが見つからない → 私は駄目な人間だ」
「自分のペースで仕事ができない → 仕事が終わらない。評価が下がるに違いない」
そして、いずれも思い通りに事を運べない駄目な自分に対して怒っているというわけです。他人に対して怒っているのではなく、自分に対してイラついている。その自分に対するイラつきが時に他人への責任転嫁として発動されることがある。周囲の人にとっては「何であの人、怒っているんだろう?」「何で今、八つ当たりされたのだろう?」ということになるわけです。
そうやって自分に対してイライラしないためには「認知の歪み」を是正することが肝要です。「何か間違って考えてないかい?」と自分に問いかけ、何が間違っているのか明らかにしていくことです。「推論の誤り」のパターンを用いていきましょう。
■「探しものが見つからない → 私は駄目な人間だ」の歪み
探しものが見つからないだけで「駄目な人間だ」と決めつけるには無理がある(一般化のしすぎ)。他になくしていないものもたくさんあるのにそれが見つからないだけで駄目だというのは極端な発想である(全か無か思考)。人は誰でも物をなくすことはよくあることだから、そんなに自分を責めたりイラついたりする必要はない(過大評価と過小評価)。
■「自分のペースで仕事ができない → 仕事が終わらない。評価が下がるに違いない」の歪み
今まできちんと真面目に仕事をしてきたのだから、たった一度や二度仕事が遅れたくらいで評価が下がるわけがない(一般化のしすぎ)。誰だって能力の限界があるわけだから全てを完璧にこなす必要はない(全か無か思考)。振られた仕事を全て引き受けなければならないわけではないから、無理なら断ることも必要だし、それで評価が下がるわけではない(すべき思考)。
思考に余裕とマイルドを
「仕事を独力で計画通りに終わらせないと評価が下がる」という考え方が極端で誤っていることに気づければ、「終わらなそうだから締め切りを延ばしてもらおう」「無理そうだから新しい仕事は断ろう」「上司や同僚に手伝ってもらおう」「適当に片付けてしまおう」などと選択肢が増え、思考に余裕が出てきます。そのように思考がマイルドになることによって、自然とイライラも減っていくというわけです。
自分なりに自分の認知を分析してみた結果、かなり歪みがあったと気付かされます。今、こうやって冷静に分析していると「歪んでるぞ」「極端な考え方だぞ」と気付けるのですが、イライラの渦中にいるとなかなか気づけないものです。で、怒りに猪突猛進してしまうというわけです。
私は、自分の考えの癖(自動思考)をなるべく意識し、分析し、そこに歪みがないかを確認する習慣づけを始めているところです。上述の「推論の誤り」は偏りがちな思考に名前を付し、パターン化したものに他ならないので、「認知の歪み」を確認するツールとしては大変有用なものであると考えています。「あ、この考えは一般化しすぎてるな」と気付けるというわけです。
まとめ:ネガティブ思考の悪循環に早めに終止符を打つこと
人には誰でも調子の良い時と調子の悪い時があります。その中においてニュートラルな感情を保つよう心がけて日々を暮らしています。
ですが、私のような特にメンタルの弱い者は、少し不運なことや不満なことがあるとそれを拡大解釈してしまって、悪循環に陥ってしまうことがよくあります。その結果、うつ状態になってしまったり、怒りっぽくなってしまったりしてしまうのです。
出来事が我々を落ち込ませたり怒らせたりするのではありません。ある出来事に対して私たち自身が意味付けを行うことによって、私たちは勝手に落ち込んだり勝手に怒ることを選んだりしているに過ぎないのです。であれば、悪循環の渦中に巻き込まれて思考停止してしまう前に、自分の考え方の癖や認知の歪みを発見して手を打っておくことはうつ状態の予防や怒らない生き方に繋がるだけでなく、日々のストレスを軽減することにも繋がるのです。
私たちには考え方ひとつでストレスを前向きなものにしたり、それまで怒っていたことを全く気にしなくする能力が備わっているのです。認知行動療法はその大いなる手助けをするものなのです。
関連記事:
間欠性爆発性障害の治療法、治し方とは?実際に効果があった方法を厳選して紹介
コメント