就職活動に悩み、あまつさえ絶望して自ら命を断ってしまう人さえいる原因の一つに「大企業や安定した会社に就職できなければ人生終わり」という強迫観念にとらわれてしまっていることが挙げられます。
そういった「大企業や安定した会社に就職できなければ人生終わり」という考えに縛られてしまうことは、自分の人生の視野と可能性を狭めることと同義です。私も新卒で入社したそれなりに安定した会社を二年半で衝動的に辞めた(逃亡した)際には「人生のレールを踏み外した」と暗澹たる気持ちになって命を落としかけましたが、あれから約10年。今こうしてのうのうとそれなりに不幸せでない程度に生きています。人生にレールなんてなかった。
仕事や会社ごときに人の命を奪う値打ちはない、と私は考えています。それはつまり、就職活動がうまく行かなくても絶望する必要なんてどこにもないし、新卒の会社を辞めてしまったとしてもなんとかなるということ。そう、なんとかなる。私は社会人としては最低の部類であり、コミュニケーション能力もほぼゼロだけれど、そんな私が「なんとかなる」言うのだから間違いない。
私の考える「大企業や安定した会社に就職できなくても絶望する必要がない5つの理由」を見ていきましょう。
1. 安定神話は既に崩壊している ―親の言うことや暗い報道に影響されるな
90年代日本におけるバブル崩壊による多くの金融機関の破綻、2008年のリーマンブラザーズの経営破綻とそれに伴う世界的大不況、2010年代後半におけるシャープ、東芝の経営危機などを引き合いに出すまでもなく、「大企業だから安定している」というのはもはや常識ではなくなりました。特に、これから就職活動を行う人や社会人を経験してからの再就職に臨む人なら肌で感じていることであると思います。
にも関わらず、安定した職業というファンタジーを追い求めてしまうのは「1.親の期待を裏切りたくないこと」「2.テレビや経済誌に不安を煽られること」が理由として挙げられます。
親の言うことには従わなくていい
特に「1.親の期待を裏切りたくないこと」の影響は大きいように思います。かつて私が働いていた職場においても、就職について親と意見が合わなかったことが原因で一人の学生アルバイトが自宅にて自殺してしまうということがありました。
親の年代と私たちの年代では価値観が違うし、そもそも親の考え方と自分の考え方は違います。親に育ててもらったとは言え、自分は自分です。親が「安定した会社に就職しなさい」というのは単なる希望であり、おせっかいであり、願望の押しつけに過ぎません。
例えば、親が「社会に出る前にそろばんを使えるようにしなさい。私たちの時はそうだった」と言ってきたとしても、現在、そろばんのスペシャリストには何の価値もありません。極端な例ですが、要するに年代によって価値観が違うのです。
マスメディアの言うことは大雑把すぎるから聞かなくていい
「2.テレビや経済誌に不安を煽られること」についても、影響されるに値しません。私たちは私たちの数だけ多様な生き方があるからです。マスメディアは時に、例えば「年収500万円なければ人生は暗い」などと大雑把な報道をしてきますが、それは私たちの多様性を無視しています。
年収1億円でも不幸せな人もいれば、年収200万円未満でもそれなりに不満なく生きていける人もいます(後者は私のことです)。人の数だけ幸せの形があるのであって、年収だけに幸福を依存することはむしろ危険なことです。先述の通り、安定神話は既に崩壊しているからです。
「安定したそれなりの年収」というステレオタイプな指標で人生にレールを敷こうとするマスメディアの情報に影響される必要は全くないと私は考えています。それは非常に窮屈で偏った考え方です。
2. 大企業にはやりがいが少ない ―ルーチンワーク、ノルマ、現状維持のための接待
私たちが仕事に求めるものは収入の他に「やりがい・自己実現」があります。「お金さえ貰えればやりがいなんてなくていい」という人もいるでしょうけれど、人間はそう単純にはできていません。いつか心が折れてしまう時が来ないとも限らないのです。
運良く大企業に入社したあなたに待っているのは「無限に続くルーチンワーク」「高度に合理化された窮屈な職場」「現状維持のための接待」「昨年よりも売れというノルマ」です。大企業というのは組織が肥大化しすぎているためにイノベーションが起きづらい場所です。その上、多くの従業員を抱えるために個人は歯車の一つとしてしかカウントされません。
確かに収入は多く、福利厚生は万全に整えられているでしょうけれど、歯車は歯車。そこは個性を発揮する場所ではなく、型にはまった上で能力を活かす場所です。それは、給与や待遇は比較的低いかもしれないけれど、自由な社風で画期的イノベーションを目指すベンチャー企業とは正反対の世界であると言っていいでしょう。
私はここで「ベンチャー企業に就職しよう」ということを言いたいのではありません。きらびやかに見える大企業には大企業なりのデメリットや影の部分があるということです。「既存顧客囲い込みのために連日開かれる接待」などは大企業特有のくだらない仕事のうちの一つであると私は考えています。
某大企業に勤めている私の友人は「毎日出張の上に接待で浴びるほど酒を飲んでいる」と言っていますが、健康を損なわないか心配です。
3. 「大企業や安定した会社に就職できなければ人生終わり」は日本特有の考え方 ―「いま、ここ」を生きるために
冷静に考えてみれば「大企業や安定した会社に就職できなければ人生終わり」、そんなわけないのです。人類はかつて狩猟生活をしていたのであり、当然ながら大企業なんてものはありませんでした。江戸時代にも大企業や安定した職場なんてなかった。にも関わらず人々はそれなりに暮らしていました。
歴史を紐解いて考えると、大企業というものが出現し、そこに安定という付加価値が与えられたのは高度経済成長期かそれ以降の話であり、たったここ50年くらいのことであることがわかります。
『「その日暮らし」の人類学』(小川さやか、光文社新書)ではアフリカの国タンザニアの商人に焦点が当てられて、Living for Today「今を生きる」経済について生き生きと描かれ、論じられています。それは「将来のための就職」という私たちの固定観念とは対極に位置するものです。
タンザニアの個人商人たちは巨大な組織を作ることなく、それぞれが勝手に商品を仕入れ、路上で売りさばいて生計を立てています。売れる日もあれば売れない日もある。で、誰かが売れるノウハウを確立すればその手法を惜しみなく仲間に教えてしまう。そうすると、後発の商人によって市場は飽和状態となり、そのノウハウでは稼げなくなる。そうなったらまた新しいことを各々がとりあえずやってみる。で、新しいノウハウを確立すれば、それを仲間に教えてあげる――それの繰り返し。
彼らは老後の貯金のために働いているのではないし、家のローンを返すために働いているのでもありません。今日の稼ぎのために商品を仕入れ、売っている。子どものために多めの稼ぎが必要ならそれなりのお金が得られそうなものを仕入れ、販売する。「いま、ここ」を生きている。
ここ日本ではそんな「その日暮らし」の生き方は「駄目人間」として弾劾され得るのでしょうが、ここから感じるべきことは多くあるように思います。
・「将来のために働く」という日本の働き方は世界的に見ればマイノリティであること
・「いま、ここ」を生きているタンザニアの商人は、稼ぎは少ないけれど希望に溢れていること
私は本書にいささかの衝撃を受けて視野が広がった結果、「安定した会社」というものがちっぽけで取るに足らないものに思えてきました。将来はもちろん大事なことには違いないけれど、それよりも「今」のほうがずっと大事であると視点を変えることができたのです。将来に絶望する必要なんて実はどこにもないのです。
4. 自分の健康を損なっては意味がない ―安定した会社に働き続けられるとは限らない
安定した会社に就職できれば、長期間に渡って安定した収入を得ることができる可能性は確かに高まるでしょう。だけど、働くのは生身の人間であるあなたであることを忘れてはなりません。就職は永久保証のゴールではないのです。
やりがいのない職場において意気消沈してしまうかもしれません。繰り返しの毎日に絶望してしまうかもしれません。人間関係にうんざりしてしまうかもしれないし、ストレスで身体を壊してしまうかもしれません。
現に私は新卒で入社した会社の仕事に全くやりがいが感じられず、人生をコントロールされている気持ちになってしまい体調を崩して退社したのでした。私にとってはここからが本当のスタートでした。自分が何がしたいのか、何を避けたいのか、何が好きで何が嫌なのか、自分にとって何が幸福で何が望ましい人生なのかを考える時間が与えられたことは幸運であったと思います。
自分の仕事を決める上で大事なことは、闇雲に「大企業」「安定した会社」に照準を合わせることではなくて「自分が何に興味があるのか」「何が好きなのか」という問いと向き合うことです。銀行を志望する人は多いけれど、果たして銀行業務というハードでノルマが厳しい上にルーチンワーク中のルーチンワークである仕事に興味を持って志望する人がどれだけいるのか、甚だ疑問です。
安定した会社に就職したはいいけれど、健康を壊してしまっては意味がありません。人生何が起こるかわかりません。であれば、「大企業」「安定した会社」というのは砂上の楼閣とも言えるかもしれません。長い人生を鉄壁に保証してくれるゴールではないのです。
5. フリーランスは増加傾向にある ―就職だけが人生じゃない
データとしてフリーランスという働き方が増加傾向にあるということは覚えておいて損はないと思います。「就職だけが人生じゃない」という論に説得力を持たせるためと、自分の可能性を狭めないためです。
ランサーズ株式会社が発表した「フリーランス実態調査2017年版」によれば下記のことが示されています。
・広義のフリーランスは推計1,122万人(労働力人口の17%)
・1,064万人(2016年)から1,122万人(2017年)へ5%増加
・フリーランス満足度はノンフリーランスに比べて高い。1位の理由は「能力をいかせる」こと
フリーランスという働き方が増加していることは、「就職活動ごときに失敗しても絶望することはない」ということを示していると私は考えています。答えは一つじゃない。就職だけが人生ではない。
前述したタンザニアにおける商人は要するにフリーランスです。彼らは人生を賭けながらも楽天的に「とりあえずやってみる」のであり、「いま、ここ」を希望を持って生きています。将来を悲観してしまうのは「就職が王道」という固定観念に縛られたここ日本だけでの考え方です。
私は自分にとっては何が重要で、何が好きなのかを考えた結果、現在フリーランス(兼業ですが)として仕事をしています。組織で働くこと自体がストレスになってしまうことがわかったので、会社に所属しながらも週3出勤に抑え、残りの4日は自宅を職場として自分の仕事を一人で行っています。
もちろん私は「フリーランスになるべき」という価値観を押し付けたいわけではありません。就職活動で悩んでいる人がいるなら「就職だけが人生じゃない」、仕事に悩んでいる人がいるなら「今の職場だけが人生じゃない」いうことを実体験として伝えたいのです。
絶望する必要なんてどこにもない。人生はなんとかなる。将来に悩むなら「今」に視点を変えてみること。この不安定な世界を生きていく力は、私を含め、予め誰にでも備わっていると私は考えています。
参考文献:
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