やりたくない仕事・気の進まない仕事は固く断ろう、と私が声高に叫びたいのは、私自身が断るのが苦手だからに他ならない。
頼まれたら上手く断れずに、「はい、わかりました」だの「おー、わかったー」だの言ってしまう。
で、後になって「何であんなに乗り気で受け入れてしまったのだろうか」と激しく後悔しながら、自分にイライラしたりする。
仕事のことだけではない。プライベートもそう。
明日遊ぼうよーとか、飲みに行きましょうとか、お願いがあるんだけどとかに対して、あまり気が進まないにも関わらず、「うん、いいよー」と二つ返事してしまう。
で、やっぱり後になって、「あー出掛けるのめんどくさ」とか思ってしまうのだった。
仕事を増やすな、定時に帰ろう
もちろん、私は自分からあまりアクションを起こさないので、誘ってくれるのは大変にありがたい。気が進まないにも関わらず出掛けた結果、意外と楽しかったということもある。
だけど、本当に気乗りのしない事象に関しては、断固として「うん、いいよー」とは言わず、断ってしまってもいいのではないか。
プライベートはまだいい。問題は仕事である。
一つの組織において、生産性のない仕事が増えるのは悪である。しかしながら、大体の場合、増える仕事は生産性のないどうでもいいようなものである。
第一、仕事が増えたら定時に帰れないし、集中力は分散されるし、期限が近づくことで焦るし、といいことなど一つもない。
我々は定時に帰るために仕事をしているのだ。
決して、増えた仕事を処理するために仕事をしているわけではない。
従って、我々には「ノー」が必要である。
やりたくもないし気も進まないにも関わらず、ついつい「わかりました」と受け入れてしまっていた仕事に対して、毅然とした態度で「ノー」を突きつけることである。
最も効果的な断り方は「ノー」とだけ言うこと、だが
ところで、何らかの依頼を断るのに最も最善なのは、ただ「ノー」とだけ答えることであると大方の見解は一致している。
すなわち、「できません」「やりません」「やりたくありません」「無理です」「うまくいくとは思いません」とだけ相手に告げることである。
弁解はしない。
ただ「できない・やりたくない」という意思だけを表明して、あとは口を閉ざす。
それが最も効果的な断り方なので、覚えておこう。
だけれど、我々はその「ノー」がなぜか言えない。私もそう。
何か頼まれると、全くやりたくないのに、「あー、はいわかりました(仕事増やすなぶっとばすぞ)」となぜか快諾してしまう。
従って、まずはなぜ我々が「ノー」と言えないのか、なぜ断ることができないのか、その心理を知る必要がある。
「訊いてみるタイプ」と「探ってみるタイプ」
ライターのアンドレア・ドンデリによれば、文化には2種類あって、人はいずれかの慣習の中で育ち、価値観が形成されるのだという。
すなわち、「訊いてみるタイプ」と「探ってみるタイプ」である。
どちらが正解ということはなく、単なる文化の違いである。
「探ってみるタイプ」の文化
典型的な日本人タイプ。
相手から「イエス」の返事をもらえることが確実になるまで、自分の要求を具体的に言葉にしない。
それが「探ってみるタイプ」である。
つまりは、相手に何か頼みたいことがあるときは、相手がどのように考えているか、受け入れてくれるかどうかを熟慮し、ジャブ的に探りを入れたりして、どうやら「イエス」と言ってくれそうだと確信を得たときだけ、実際に言葉にして頼む。
これは文化の問題であるので、頼まれる側は、頼む側のその心理を理解している。
従って、何かを頼まれた際には、「イエス」と答えることが期待されていると察して、プレッシャーになってしまい、なかなか「ノー」と言いづらい。
ノーと言えない日本人、などと言われるが、背景にはこういった文化的背景があるのである。
「訊いてみるタイプ」の文化
それに対して、欧米やロシアなどは文化が異なる。
彼らは、自分の要求が何であれ、とにかく相手に直接訊いてみる。それが礼儀に反するとは思わない。駄目なら駄目でいいし、断られても構わない。
それが「訊いてみるタイプ」。
断る方も、相手が「イエス」を求めているわけではなく、深く考えずにただ訊いているだけだと理解しているので、断りづらいこともなく、プレッシャーにもなりづらい。
外国の映画やドラマを観ていると、思ったことはすぐに口に出していて、「随分ざっくばらんな人たちだな」という印象をよく受けるのだが、それは彼らが「訊いてみるタイプ」の文化であるということに起因する。
必ずしも「イエス」と言わなくていい考え方
つまり、何かを頼まれたら、相手が「訊いてみるタイプ」の人間なのだと考えると、断りやすくなる。
もしもあなたが誰かから急に「明日から2週間家に泊めてくれないか」と言われたとする。
あなたは、あるいは私は、「(いきなり何てぶしつけなことを言い出したんだ。無理に決まってんじゃん)」とかやや憤りつつも、可能かどうかをちょっとは考えてみて、やはり無理だと判断すれば、「イエス」の答えを出せないことに心苦しく思いながら断ることになる。
それは、我々日本人が「探ってみるタイプ」の文化で育ったから、そのように憤ったり心苦しく思ったりするのである。少なくとも私は思う。
上司から、「明後日までって言ってたあの仕事、今日中にできるかい?」と言われたら、どうだろう。
渋々「はい、わかりました」と答えながら、心の中では「(いきなりかよ、明後日っつってたじゃん、ふざけんな)」と思うだろう。私は思う。
だけど、「明日から2週間家に泊めてくれないか」と言ってきた友人も、「明後日までって言ってたあの仕事、今日中にできるかい?」と言ってきた上司も、「イエス」の答えを期待していたのではなく、ただ単に訊いてきただけだったらどうだろう。「まー無理だと思うけど一応訊いてみよう。駄目だったらいいや」と。
そう考えれば、別に我々は彼らの要求に憤る必要もなく、断ることに心苦しく思ったりする必要はどこにもない。
ただ「無理だ」とだけ答えればいいのである。相手からも「そっかーわかったー」と返ってきて、後腐れなく会話は終了。
一件落着。
断っても悪いことは何も起こらない
従って、相手からの依頼や要求を潔く断る際に重要な考え方は、「相手はただ訊いてきているだけ」と考えることである。
必ずしも「イエス」と答える必要なんてない。
それは我々が勝手に心の中でプレッシャーに感じているだけの話なのである。
日本人が「探ってみるタイプ」であるからといって、全員が全員そうであるわけではない。
私の友人にも、思い付いたありとあらゆることを提案してくる者がいるが、それを断ったからといって何ということはないのである。
私は典型的な「探ってみるタイプ」であるので、最初の頃は「イエス」が期待されているものと勘違いして、多少無理をしてでも彼の提案にできる限り乗っていたのだが、ある時、「あいつはただ言っているだけ、訊いてみているだけなんだな」と気付き、無理なことは無理と答えるようにした。
結果、別に何も起こらなかった。
仲が悪くなったわけでもなく、彼からの何らかの提案の数が減ったでもない。
むしろ私は無理に提案を引き受けなくて良くなった。
従って、「断ったら相手にどう思われるか」などと考えなくてもいいのである。
断ったらどうなるか。
十中八九、あなたに不利になるようなことは何も起こらない。
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やりたくないことはやらないほうが、精神衛生上も健やかなのである。
まとめ:誰でもできる!やりたくない仕事や提案の断り方
・相手はただ訊いてきているだけだから、必ずしも「イエス」と答えなくてもいい、と考える。
・断っても何も悪いことは起こらない。むしろ、仕事が増えなくてラッキー。
・断る際には、「ノー」という意思表示だけして、あとは口を閉ざすのが最も効果的。
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