結論から言おう。
仕事を減らすためにできるたった一つのことは、仕事をやらないことである。
真面目な話だ。
やりたくないけどなんとなくやっていた仕事を敢えてやらないでおいて、どうなるか観察してみる。
恐らく、何も起こらないのである。
あなたの仕事はひとつ減った。
厄介な仕事を頼まれたら、「ノー」とだけ言う。ややこしい言い訳はしない。
すると、どうなるか。
何も起こらないばかりか、次から面倒な仕事を頼まれなくなるのである。
あなたの仕事はまたひとつ減った。
とは言え、何もやらないというわけにはいかない。
評価がガタ落ちしても困る場合もある。
重要な事は、どこまでの仕事をやるか、どこからはやらないかという範囲の線引を自分の中に明確に持っておくことに他ならない。
それが、終わらない仕事への唯一の自衛策になる。
なぜ仕事は増える一方なのか?
受信箱には次から次へとメールが届く。極めて重要なものから、仕事と言えないようなどうでもいいものまで。
メールの送信者は、自分のメールに書かれている事項を再優先でやってもらいたいと例外なく思っており、他の数多のメールに埋没されてしまっては困るから、「至急!!」と目を引くタイトルを付けたりする。
これは戦争である。メールの送信者同士が、自分の仕事を優先してやってもらおうとしのぎを削る争いである。
受信者たるあなたは、それら受信メールの中からどれが優先事項か、どれが本当にやるべき仕事かを選別し、仕事に取り掛かる。さっさと取り掛かりたい。
だけど、あなたの周囲にもあなたの仕事に口を出してくる邪魔者がたくさんいる。
上司、部下、取引先、他部署の人間、他の関係者――。
それら干渉によって、思ったように仕事が進まない。
そうこうしているうちにも、メールは届き続ける。
仕事は増え続ける。
しかもそれら仕事の大部分は、あなたの裁量ではどうすることもできない仕事だから困る。
すべき仕事の範囲を明確にせよ
現代の知識労働者の殆どが上記のような悪循環、非効率に悩まされている。
『もしドラ』でお馴染みのピーター・ドラッカーは曰く、かつて我々が畑を耕し、狩猟採集し、馬に蹄鉄を付けていた時代には、「今自分がしなければならない仕事は何か」という問いに対する答えは常に明確だった、と言う。
だけど、様々な者の思惑が複雑に混じり合う現代社会の組織においては、生産性の効率化を目指すべく作られたその組織であるにも関わらず、従業員一人ひとりというミクロな視点で見ると、情報過多によって注意力が散漫になりがちである。
ドラッカーは、我々に対処法を示してくれている。
もし、あなたが知識労働者なら、あなたのすべき仕事の範囲を明確に意識することが極めて重要な作業となる。それだけではない。あなたが注意を払わねばならない対象物にどれだけの値打ちがあるのか、についてもしっかり認識していなければならない。
やるべきことが多すぎること自体が、あなたの仕事が増え続ける原因なのではない。
確かにやることは多すぎる。だけど、すべき仕事の範囲と重要度を自らの頭で判断して仕事をこなせ、とドラッカーは言っている。
逆に言えば、自分で線引した範囲外の仕事はやらないこと、重要度の低い仕事もやらないこと、が肝要であるとも言える。
私見では、おおよそ仕事のできない人というのは、範囲外・低重要度を含めた全ての仕事を自分で抱えて、自滅するパターンが多いように思う。
反面、仕事のできる者は、適度に手を抜いている。不可能な量の仕事を抱えないことを再優先にしているようにも見える。
すべき仕事は自分で決めよ
つまりは、玉石混淆の仕事が次から次へと舞い込み、それら仕事の進め方にうるさく干渉してくる連中もいるけれど、最終的に最も重要な事は、自分の仕事のやり方は自分で決めるということである。
それぞれの思惑に振り回されるのは御免だし、彼らは自分の主張を勝手に言っているだけだから誰の言っていることが正しい、というのもない。
彼らは、何かごちゃごちゃ言ってきて人の仕事を邪魔してくる単なる塊である、とみなした方が良い。
いちいち誰それの言うことを聞くことは、注意力散漫を招くだけである。貴重な時間をドブに捨てることに他ならない。
しかしながら、組織の中で働いている以上、難しいこともあるだろう。
全て自分の思い通りになったら、どんなにいいことか。
あなたは自由だ、けど、結果だけは自由にならない
自分の仕事の範囲を自分で決めるということは、与えられた仕事を拒否することも出てくるだろうし、上司の指示に従わないこともあることを意味する。
やりたい仕事だけやるのもいいだろう。
裁量はあなたの手の中にある。何をしようと自由なのである。
評価がガタ落ちする?
そう、確かにあなたは自由であるが、その結果だけは自由にはならない。
仕事の範囲を自分で決めた結果、評価されなくなってしまったら、それに甘んじるしかない。
それは考え方の問題である。
山ほどの仕事を周りからあれこれ言われながら嫌々こなすのが良いか、上司からの指示を拒否してまで自分の仕事を自分でコントロールするか。
正解はない。
どちらがいいかという好みの問題に過ぎない。
とは言え、そう悪くはならない
繰り返すが、私が示したいのは「自分の仕事の範囲を自分で決めることで、増え続ける仕事をコントロールすることは可能である」ということに尽きる。
周りの思惑に振り回されるだけが脳じゃない。
自分の意志で仕事量はコントロールできるのだ。
やりたくない仕事を意地でもやらない方法。戦略的無能力とは?
「ノー」と言うための考え方。「相手は軽く聞いてきているだけ」と考えると何事も断りやすい
解雇されるかもしれない?
そう悪くはならない。
少なくとも私の経験上、「仕事をやらない」という理由で解雇された者は一人も見たことがない。降格になった者さえいない。
ちなみに、私自身も「自分で納得した仕事以外は指示されても絶対にやらない」という、社会人としてどうかと思われるスタンスでずっと会社に勤めていたが、それが理由で解雇なんてされなかったし、処罰もされなかったし、怒られもしなかった。
つまり、悪いことは何も起こらなかったのである。
仕事に「やりがい」が持てないあなたのための、たった一つの理由と解決策
まとめ:仕事を減らすためのたった一つの解決策
「自分の仕事は、自分の裁量で自由に決めることができる」ということを覚えておこう。
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