仕事を抱えすぎてしまう原因のひとつに、仕事を断ることができないことが挙げられます。
「やっといてくれ」と頼まれたら、「はい」と答えてしまうこと。
誰もやらないのでなんとなく自分が率先してやってしまうこと。
他にやるべき仕事をたくさん抱えていたとしても、自分にとって難しい仕事であったとしても、多少無理をしてでもなぜか引き受けてしまうのです。
実は私もそのような傾向にあり、「はい」「わかりました」と言っているうちに、いつの間にか終わらない仕事を抱えてしまい、最終的にパンクしてしまうことがあります。
自分で引き受けた仕事であるにも関わらず、それがストレスを引き起こすことになってしまうのです。
「できません」と仕事を断れない理由には、3点あります。
1. いい子でいたいと思っている。断ることで、相手の不評を買うのを恐れている。
2. 優秀でいたいと思っている。無能の烙印を押されることを恐れている。
3. 他人を喜ばせたいと思っている。相手に気に入られたいという心理。
わかります、私もそう。
だけど、仕事を断ることで「相手の不評を買う」「無能の烙印を押される」というのは幻想であることがわかってきています。
誰でも仕事なんてやりたくない。
座っているだけで、ただ立っているだけで給料が貰えれば、それは奇跡であり、願ったり叶ったりです。
だったら、その中でも特にやりたくない仕事があったら「できない」と断ってしまえば良い。
断ったこと、やらなかったことによって、あなたにとって不利になることは何もないのです。
できるのにあえて仕事をやらないこと。
これを「戦略的無能力」と呼びます。
戦略的無能力とは? その目的
やりたくもない仕事を抱えすぎてしまう人には、戦略的無能力の思考で負担を軽減することが要請されます。
戦略的無能力とは、できるのにあえて仕事をやらないこと。
相手からの期待値を意図的に下げ、あなたが必ずしも「イエス」と言うわけではないことを周囲に印象付けることです。
そうすることにより、あなたに何でもかんでも仕事が回ってくることを避けることになるばかりか、こちらとしても「期待に応えなければならない」という重圧から解放されることになります。
結果、ストレスは軽減され、精神的に楽になれるのです。
周りにもいる仕事をやらない人を見習おう
あなたの会社にもひとりやふたりは、やってくれと言っているのに仕事をしてくれない人がいるはずです。
業を煮やしてなぜやってくれないのかと問うても、「だって自分じゃうまくできないから」とか「これからやろうと思ってた」とか「誰かがやると思った」とか、こちらからすれば筋の通らない返事が返ってくるばかり。
何度言っても仕事をやってくれない。注意した時にはやるけれども、翌日からはまたやらなくなっていく。
こちらとしては、もうあの人を頼るのをやめよう、と思うしかありません。
ここにヒントがあります。
その仕事をやってくれない人は、やりたくないから仕事をしなかったのです。だから、やってくれと言われても頑なにやらなかった。
果たして、諦められた結果、もうその仕事をやってくれとは言われなくなった。
当人も初めからその仕事をしたくなかったわけですから、「やらない人」と印象づけることができ、その仕事をやらなくて良くなって、晴れて望み通りになったというわけです。めでたしめでたし。
できるのにやらない「戦略的無能力」を活用しよう
戦略的無能力。できる能力があるにも関わらず、あえて仕事をしないこと。
会社にひとりやふたりはいる「戦略的無能力者」は、常に精神が健全です。
なぜなら、やりたくないことはやらないからです。
逆に、その上司や周囲の人間にはストレスがかかります。その「戦略的無能力者」をいちいち指導し叱咤しなければならないことに加え、彼/彼女がしなかった仕事をしなければならないからです。
まったく皮肉な話。
ですが、この泥沼のような社会人人生を健全な精神で生きていくためには、「やらない人」にも見習うべきところがあり、その「戦略的無能力」を駆使して飄々と生きていくこともひとつの策であると思うのです。
真面目な我々だからこそストレスが溜まる。仕事を抱えすぎて、うつ病になりつつある。
だったら、ストレスを溜めずに、仕事をやらない能力を身につけようではないか。
戦略的無能力の3つの柱
1. やらなくても、あなたにとって不利になることはない
前述の通り、戦略的無能力を駆使した人は、やりたくない仕事を拒否し続けた結果、その仕事に関しては頼られなくなり、「やってくれ」と言われなくなった。つまり、やりたくない仕事をやらなくて良くなったのです。
まさに望み通りになったのであり、仕事を断ったから不利になったというよりは、むしろ自分の意志を突き通せたという意味では有利に働いたと言えるでしょう。
もちろん、彼もすべての仕事を拒否し続けたわけではないでしょう。
様々な仕事の中で、それだけはどうしてもやりたくなかった。気が進まなかった。だから、やらなかった。
結果、ストレスフリーになった。
仕事をやらなかった事によって評価が下がると恐れる向きもあるでしょうが、果たしてそうでしょうか。
評価の高い人や優秀と言われる人が、必ずしも全ての仕事を引き受けてがむしゃらに働いているとは限らないのは周知です。むしろ、自分のタスクをコントロールできる人が「仕事ができる」と評価されるのです。
だから、仕事を拒否した、やらなかったと言えども、評価が下がることに直結するわけではないのです。
逆もまた然りです。
全然仕事をしてくれない人が、それを理由に減給や解雇される例は殆どないばかりか、余程のことがない限り上長から注意さえされないのが実情でしょう。
仕事を抱えて真面目に頑張っている人が報われるわけではない。
つまり、仕事をやらなかったからと言って、著しい評価の下落に繋がるとは限らないのです。
真面目な我々は、もっと気軽に仕事を拒否しても構わないのです。
「残業はしない」と宣言して、毎日定時に帰ってしまうというのもいい手です。
「ノー」と言うための考え方。「相手は軽く聞いてきているだけ」と考えると何事も断りやすい
2. ストレスを軽減できる、精神的に楽になる
課された仕事、課されてはいないけれどやったほうがいい仕事を全て受け入れてこなせば、周囲からは「いい人」「働き者」とみなされるかもしれません。けれど、当人のストレスは大きくなっていくのは自明です。
もちろん、人のために何かをするのが好きな人というのも世の中にはいるので、「皆と同じ給料だけれど、私は善意であれこれと人の分まで仕事を請け負っていて、清々しい気分だ」という人もいるに違いないでしょう。
だけれど、私を含めて大部分の人は、自分に仕事が偏った場合、「なんで自分だけこれをやらなければならないのだ」「あいつはいつも何もしていない」と不平不満が募ることになります。
不平不満が募ればストレスが溜まり、精神は不健全になる。
そんなときには、戦略的無能力を使って、いつもやっている仕事の中でやりたくないと思うものを敢えてやらないという手があります。
「あいつならやってくれるだろう」「あいつならどうせやるだろう」と思われていることを、敢えてやらない。
「いつも頼んで悪いんだけど」と当たり前のように来た仕事を、断る。
やらないでみてどうなるかを観察してみましょう。
つまりは、あなたがいつも快く「わかりました」と何事も引き受けるわけではないのだと周囲に理解させることです。そこから始めましょう。
何でも「はい、わかりました」と返答するいい子をやめ、他人からの期待値を敢えて下げましょう。
そうすることによって、期待されるストレスから解放され、精神的に楽になれます。
前述の通り、それであなたが不利になることなど何もありません。
仕事を重要度でランク付けすることは無意味。だったら、とにかく減らすべし!
3. いい子でいるのをやめてみる
気の弱い我々はつい、他人の顔色が気になって、他人を喜ばせようとしてしまいます。
仕事をやってくれないかと頼まれれば快く引き受け、困っていれば仕事を手伝い、オフィスが汚れていれば自発的に掃除をし、といった具合に。
だけど、自分が無理をしてまで他人のために何かをすることは、不健全です。
自分がしたいことだからするのは構いませんが、他人の期待に応えるためにという動機で行うのは、むしろ逆効果になりかねません。
例えば、皆に感謝されたいからからという理由で毎日自発的にオフィスの掃除をしていた人が、たまたま仕事が忙しくてしばらく掃除ができなくなってしまったとします。
職場を片付けてくれる人がいない。雑然としていくオフィス。
もちろん、それ以外の人たちで掃除をすればいいわけですが、世の中にはいろいろな人がいます。中にはこんなことを言い出す人もいるでしょう。
「あの人が掃除をしてくれなくなったせいでオフィスが汚くなった」
毎日オフィスの掃除をしていた人は、皆に感謝されるために掃除をしていたにも関わらず、掃除ができなくなった途端にそのように非難される可能性も秘めているわけです。
なんたる皮肉。なんたる不公平。
このように、相手の期待のために躍起になってポジティブな印象を他人に与えてしまうと、それができなくなった時に皮肉にも良くない印象を与えてしまう可能性があるのです。
であれば、他人の期待に過剰に応えるとか、躍起になって他人を喜ばせるとか、いい子でいなければならないとか、そういう考えは捨ててしまったほうが、ストレスの溜まらない毎日を過ごせるのです。
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