内向的性格が過小評価されていることに、世界がようやく気付いた。
人の性格は大まかに2つにわけられると言う。「内向的」と「外向的」である。それぞれの定義については心理学においても一致した見解がないのが実情だが、少なくとも「外向的な人は活発である」「内向的な人は人見知り」のような単純な話ではないことは確かなのである。
考え方の一つとしては、下記のようなものがある。
すなわち、内向的性格というのは、社会的な交流よってエネルギーを消耗してしまい、一人で過ごす時間でしかそれを回復できない人のことであり、外向的性格はそれ以外の人である、と。
従って、人見知りで大人しいからと言って内向的であるとは限らない。恥ずかしがり屋であっても、友だちを増やしたいと思っているなら外向的性格となる。逆に、明るくて活発な印象を受ける人であっても、その人が外向的であるとは限らないということだ。
近年、内向的性格の見直しが活況である。つまらないだの、暗いだの、主体性がないだの散々言われて、外向型に比べあまり評価を得てこなかった内向型だけれど、ここにきて脚光を浴び始めている。
「みんなみたいに外向型になりたい」なんて、もう思わなくていい。そんな憧れは不要。立派な個性なのだ。内向型のあなたにも自信を持ってもらうべく、3つのポイントを記していこう。
ちなみに私は、超が付くほどの内向型である。よろしくお願いします。
1. 内向型のいいところ=努力家の資質
人の性格を「外向型」「内向型」の二つに分類するとすれば、我々内向型は、努力家の資質があると言える。
熟考することが得意な内向型は、外向型に比べて作業スピードが劣る傾向にあるようだが、ある心理学者の実験によると、50人の被験者に難しいジグソーパズルを与えたところ、外向型は内向型よりも途中で諦める確率が高かったという。別の実験では、内向型と外向型の人たちに複雑な迷路の問題をやらせたところ、内向型の方が正解率は高く、実際に解答用紙に書きはじめる前に時間をかけて考えていることがわかったそうだ。持続性を必要とする課題では、内向型の方が問題を解決できる可能性がより高いのだ。
つまり、内向型の長所としては「ひとつのことに力を尽くす」「長く考えることができる」「諦めにくい」と言うことができる。
外向型の人たちが早々と諦めておしゃべりに勤しんでいる間に、内向的たる我々は一つのことをきちんと完成させることができるのである。きちんと自分の頭で考え、自分の力で一つの答えを導き出せる力を秘めているのだ。
このような真面目とも言える資質を秘めているからこそ、内向的な人にとっては、人との関わりなどの外部の刺激がストレスとなってしまう。
一つのことをきちんと熟考したい(自分の中から刺激を得ること)にも関わらず、自分の外からの情報や刺激はやたらと忙しくて目まぐるしいばかりなのである。ひとつのことに力を尽くしたい内向型にとっては、処理すべき情報が雑然としすぎて疲れ果ててしまうのも当然なのだ。
内向型には、努力家の資質がある。散漫にならずに、一つのことを自分の力できちんとやり遂げることができる。だからもっと自信を持っていいのだ。
2. この世界は外向型仕様に作られているだけ。だから気にするな
「積極性のある人材を求めている」とか「コミュニケーション能力」とか、企業が求める人材像は外向型に有利なように思える。私も転職活動の際に面接にて、「おとなしそうだから駄目だ」みたいなことを言われたことがある。
Facebookでは、友だちを増やすことが奨励されているような感があり、それははっきりと数字として現れてしまうから、友だちが少ないことは寂しいことなのかもしれないと錯覚させられる。テレビを付ければ、バラエティ番組などでは大人数で盛り上がっている。そうやって、がやがや・わいわいやることが正しいことのように思えてしまう。
違うのである。この世界が外向的な人のために作られているから、そういったことが目に付くのだ。
企業が外向型を求めるのは、当たり障りがないからである。とりあえずコミュニケーション能力がありそうで、積極的に動いているように見える者を採用しておけば間違いがなさそうと思っているだけに過ぎない。
我々内向型人間の真価は、数回の面接だけではわかりづらい。それを見抜くだけの眼も企業側が持ち合わせていない場合も多い。
Facebookが友だちの数を喧伝するよう仕向けているのは、ユーザー数が増えれば増えるほど収益に繋がるからであって、友だちの数で優劣を決めたいからではない。
友だちの数で自己顕示欲を満たしたいと思っている極めて外向的な者をコントロールして、ユーザー数を増やすことをそそのかしていると考えることができる。
バラエティ番組は、フィクションである。楽しそうにみえることと、実際に楽しいこととは違う。だから我々はそれを、おもしろがって見ていればいいのであり、憧れる必要なんてない。
外向型が優遇されがちな世の中において、我々内向型人間はどのように立ち回ればいいのだろうか。私の考えでは、特に何もする必要はない。そのままでいい。間違っても、「外向型になりたい」と無理をすることだけはやめてくれ。疲れるだけである。
私の例で言えば、友だちは最小限なので人に縛られずに毎日を過ごすことができているし、仕事についても仕事の人間関係は職場だけと割りきって付き合うことでなんとかなっている。
最近ではそれでも職場で人と合うのが疲れてきたので、シフトを減らしてもらった。その分、家で一人で仕事をしている。おかげでストレスは減った。
内向型は、一つのことを自分の力できちんとやり遂げることができる。自分の力を信じて努力をしているところである。
3. 「友だちがたくさんいること=いいこと」ではない
どうも世間的には「友だちはたくさんいたほうがいい」という固定観念があるようである。「ともだち100人できるかな」なんて歌もある。そのせいで、友達の数が多ければ多いほど良くて、友達の数が少ない人は劣っている、というような考え方が跋扈しているように思う。
そんなことはない。考え方の問題である。「友だちの数が多いほど良い」とか「休みの日は必ず誰かと出かけるから充実した人生である」とは限らないのだ。
冒頭でも記述したように、外向型は「人と過ごすことでエネルギーを回復する」のであり、内向型は「一人の時間にエネルギーを回復する」のである。
内向型の私は休日を絶対に一人でゆっくり過ごしたいのであるが、世の中には全ての休日が友だちと遊ぶ予定で埋め尽くされていないと気がすまない人もいて、かねがね不思議に思っていたのだった。彼ら/彼女らは、いつ一日中家でゆっくり休んで体力を回復するのだろうか、と。
違うのだった。私にとっての「休日を一人で過ごす」ことと、彼らの「休日を友だちと過ごす」ことは、共にエネルギー回復の行為だったのである。
内向的性格の人の中には、「自分は一人で過ごすのが好きなのだけれど、他の人たちは友だちとわいわいしていて楽しそうで、うらやましい」とか「一人で過ごすことに劣等感を感じる」とか思ってしまう人もいるかもしれない。
だけど、無理にその性格を直す必要なんてない。「みんなで盛り上がっていて楽しそうだから、自分もその輪に思い切って参加しよう」と無理に考えなくてもいいのである。
極端に内向的な私の場合、そうやって無理して人とのコミュニケーションに首を突っ込んでみたはいいけれど、後に大変に疲れてしまうのだった。
友だちの多い少ないは優劣ではないのである。多ければいいというものではない。あなたはあなたの落ち着ける空間で、疲れない生き方をすればいい。
私は、特に何の予定もない休日に、音楽を流しながら一人でこの原稿をリラックスしながら書いている。
まとめ:内向的性格を直さずに自信を持つための3つの理由
・内向型は、努力によって一つのことをやり遂げる資質がある。
・この世界は外向型仕様にできているだけ。劣等感を感じる必要はない。
・友だちの数は優劣ではない。一人でいる時間が落ち着くのなら、それでいいのだ。
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