「農業がうつ病を治癒する」とのニュースを時々見かけます。
先日会ったIT系会社の社長さんの話が印象的だった。「うつ病になった若いシステムエンジニア(SE)を農家に預けると、なぜか1年後に元気になって戻ってくるんだよねぇ」。
自分を責めて苦悩する日々が続き、このままでは自分が壊れてしまう、うつ病が他人事ではない、畔柳はそんな状況にまで追い込まれていた。そんな中、とうとう「組織に縛られずに生きたい」という想いが抑えられなくなり、清水の舞台から飛び降りる気持ちで会社を辞め、夢だった農業に携わる生活を選ぶことを決意する。
うつ病寸前の大手企業管理職から、脱サラ農起業で年収2千万、週休5日に! 失敗しない「農起業」の秘訣|ダ・ヴィンチニュース
「就農の理由は何ですか?」と伺うと、こう答えてくれました。
「いろいろあるんですが、一番のきっかけは病気(うつ病)になったことです。(略)就農して、気が付いたら病気のことなんか忘れていました」
本稿においては、複数の参考文献と私自身の就農体験を元に、農業がうつ病を治癒し得る5つの理由とその注意点を示していきたいと思います。
なぜ農業はうつ病を治すのか
1. 職場環境が変わるからうつ病が治る
抑鬱感がもたらす紛れもない痛みは、社会的操作の手段、つまり鳴き声と同様に、「助けてください」という、周囲の注意と保護を請う合図にもなりうるのだ。概して、鳴りをひそめて自分は脅威ではないと他者にシグナルを送るように促すこの機能は、私たちが自分の社会的価値が低いと認識しているとき、社会的相互行為におけるリスクを最小限にするのに役立ちうる。
『孤独の科学』(ジョン・T・カシオポ/ウィリアム・パトリック、河出文庫、P142)
人が抑うつ的な気分になってしまうのは、社会組織の中で疎外感を感じた当人が敢えて戦うエネルギーを温存すると共に、自分は脅威ではないと周囲に示して人間関係を円滑にしていくためであるといいます。
つまり、「農業をするとうつ病が治る」というのは職場環境が変わったために「助けてください」「自分は脅威ではない」ことを周囲に示す必要がなくなったからであると考えることができます。
2. 光を浴びるからうつ病が治る
私たちの気分は光の明るさに関係しています。暗いところでは気分も暗くなります。日本でもそうですが、北欧のように冬になると日光がほとんど射さないような地域では、特に冬にうつ病になる人が増加します。これを季節うつ病と呼んでいます。
このようにうつ病になった人たちに休暇を与えて、南欧の日差しの強い地域に行かせるとうつ状態が改善するのです。また白い紙に強い光を当て、その反射光を目に入れてあげると、うつ病がよくなります。これを光線療法と呼んでいます。『誰も知らないサプリメントの真実』(高田明和、朝日新書、P89-90)
光は例えばセロトニンの分泌やビタミンDの合成を促進するなど、人体の健康にとって極めて有用なものです。上記引用文にあるようにうつ病患者に光を照射することでうつ病が改善することが科学的に実証されています。
当然ながら農業は太陽光の降り注ぐ中で行われるので、うつ病を治癒する一助となりうるわけです。
3. 手や身体を動かすからうつ病が治る
足や手や口を動かす運動系の機能は、脳の表面中央付近に分布しています。その脳領域を十分に働かせるということは、そこに至る脳の血流を良くすることとイコールです。
『脳が冴える15の習慣』(築山節、NHK出版、P27)
身体を動かすことで脳の活動が活発になります。ジョギングや筋トレなどの全身運動のみならず、散歩をする、工作をする、食器を洗う、洗濯物をたたむなどの軽い運動や手先を使う作業でも脳は活性化されます。パソコンやスマホ全盛の現在にあって、このことは特に強調されているように思います。
農業は肉体労働です。私も1年半を米作りの農業法人で働いていたことがありますが、基本的には歩き、物を持ちという作業がメインでした。農場に出る仕事がない場合は土嚢を作ったり、農具を修理したりと、やはり手を使う作業でした。
新しいことを覚える際、脳内ではニューロンが構築され、複雑化します。つまりそれが脳の活性化です。農業はこなすべき仕事が多い上、多種多様に渡るので電脳社会の中で鈍った脳を活性化させるには良いのかもしれません。
4. 自然に触れるからうつ病が治る
われわれは、予想以上に積極的に強い力で物事をコントロールしていると信じる一方で、反対に自分たちには何の力もないと思い込んでしまうという、相反する思いの間をさまよいながら人生を送っている
自然は、この生まれつきの振り子をリセットして、現実に即したバランスを保ってくれる。一方では、自然の景色を眺めるだけで、自分たちがいかに小さくて非力な存在であるかを悟らされるが、他方、直接自然に触れることにより、たとえ二マイル散策するだけでも、しっかりと自立心を持ち、責任を持って自分の行動をコントロールしなければならないことも悟る。『最強知的”お助け”本』(オリバー・バークマン、東邦出版、P69-70)
森林では様々な植物が、害虫や病原菌を寄せ付けないための物質を発している。そんな植物の毒成分や、毒気に満ちた、どうして人間に良い効果をもたらすのだろうか。
この要因の一つに、ホルミシス効果を上げることができる。「ホルミシス」とは、ギリシャ語で「刺激する」という意味である。
つまり、人間の体は弱い毒の刺激を受けて、生命を守ろうと防御態勢に入る。その緊張感が生きるための能力を活性化し、私たちに活力を与えてくれるのである。『たたかう植物』(稲垣栄洋、ちくま新書、P179-180)
自然に触れると癒やされるのは誰もが感じていることですが、その理由としては上記2点が有力な説として挙げられます。
1. 自分ではコントロールできないものに接することで心のバランスが保たれるから
2. 植物が発する「弱い毒」の刺激を受けて、程よい緊張感が生まれるから
言うまでもなく農業は大自然の中で、自然物である植物を育てる仕事です。植物を育てるという行為も、世話をしなければ萎れてしまうという自分では絶対的にコントロールできないものに接する行為です。
5. やりがいを見つけたからうつ病が治る
セロトニン運搬遺伝子についての最新の知見は、うつに対して脆弱な日本人が、よいことにもっとも敏感に反応できることを示してもいます。すなわち自分に適した環境に身を置くことで、”鈍感”なひとにはない幸福を手に入れることができるかもしれないのです。
『幸福の「資本」論』(橘玲、ダイヤモンド社、P238)
「うつ病を患った(患いつつあった)けど、農業を始めたら治った」というストーリーは注目すべき点です。最新の研究によれば、うつ病になりやすい人は、喜びにも人一倍敏感であるとのことです。つまり、良いことにも悪いことにも刺激を受けやすいなのであり、ストレスフルな環境下に置かれると変調をきたしてしまう反面、ストレスの少ない環境下では意欲的に活動することができるのです。
彼らにとっては農業が天職だったのあり、人一倍のやりがいを見いだせたということです。
また、やりがいのある仕事とは「裁量のある」仕事であると言われますが、農業は個人でやるなら自分が代表となるので最高に「裁量のある仕事」となります。
但し、「農業を始めたらうつ病が治った」の注意すべき点
しかし、「農業を始めたらうつ病が治った」には鵜呑みにできない注意点もありますので、下記で簡単に触れていきます。
1. 因果関係ではない
最も注意すべき点は「農業を始めたらうつ病が治った」は因果関係ではないということです。農業に触れた全ての人のうつ病を治療する力があるわけではないでしょう。おそらくそこには上で見てきたような「第三の要因」が関与しています。
・就農→(日光を浴びた)→うつ病の治癒
・就農→(新しい環境)→うつ病の治癒
従って、「うつ病を治すなら農業だ」と短絡的に早合点してしまうのは危険です。農業に向いていない人もいるかもしれないし、農業をしても治らない人もいるだろうからです。
2. 労働時間は長くなりがち
冒頭の参考記事に「脱サラ農起業で年収2千万、週休5日」というケースがありますが、それは極めて稀な例外です。農業は基本的に儲からないし、長時間労働になりがちです。
私がかつて勤めていた農業法人では、春から秋にかけては殆ど休日なし(田植え時期には30連勤!)で、朝早くから仕事が始まり日中の農作業を経て夜には事務仕事をしていました(拘束時間15時間超!)。もちろん、残業代は出ません(!)。農業分野における外国人研修生の低賃金労働問題が顕在化していますが、それが示す通りです。
ただ野菜や米を作っているだけでは「脱サラ農起業で年収2千万、週休5日」の実現は難しいでしょう。観光農園としての収入を画策したり、独自経路で販売をしたりするなど、ある程度の戦略と創意工夫が求められます。
3. 農業法人になった途端にブラック化する
世間では「農業を始めたらうつ病が治った」と持て囃されているにも関わらず、私が勤めていた農業法人では離職率が極めて高かったです。研修生はおおよそ3ヶ月で辞めて行き、私も実地農作業をやらされてから半年で体調を崩し、そのまま退職しました。
農業にやりがいがあるかどうかはその当人の感じ方であるので置いておくとして、農業を法人化して労働者を使う組織となると途端にブラック化するというのが私の見解です。前述の通り、農業は余程のことがない限り儲からないからです。労働時間は長い、賃金は低い、福利厚生はない。そして、組織化したがゆえに各従業員に裁量もない。
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私自身、農業の従事していた時には自然に囲まれて仕事をしていた素晴らしい時間だったと思っています。世間で言うところの「農業を始めたらうつ病が治った」というのはおそらく事実でしょう。
しかし、農業はユートピアではありません。組織という人間関係から逃れることができるわけでは決してないのです。人生が行き詰まった時に「よし、農業だ!」と短絡的に行動してしまうことは後悔を招きかねないように個人的には感じます。「農業という選択肢もある」程度に認識しておくのが良いのでしょう。
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