ニート・無職のデメリットは、収入がないこと。これに尽きる。
ええ、知っています。
では、メリットはあるか。私は大いにあると思います。
もちろん、毎日何もしないでだらだらできるという点は言わずもがなですが、毎日仕事に忙殺される中では得られない利点があると私は考えます。
私は、のべ4年間の社会人生活の後に、挫折、2年間の無職生活に突入したことがあります。今では再び社会人として働いていますが、無職・ニート時代に得たものがあったからこそ、今の自分があると思っています。
ちなみに、無職・ニートとは言え、他人にお金を無心したりということはせずに暮らしていました。
決して大それたことではありませんが、無職・ニートで過ごして良かったと思える点を挙げていきます。
料理・自炊をする習慣がついた
とにかく時間があり余っているので、自炊をする余裕も出てきます。家計管理のことも考え、外食はほとんどせずに、家でうどんを茹でて食べるなり、親子丼を作るなりしていました。
社会人時代には料理・自炊の類は全くしなかった私ですが、やろうと思えばなんとかなるものです。凝った料理は決して作りませんが、大事なのは、自炊をしようとする意志と習慣付けだと思います。
うどんを茹でて食べるなんて、鍋に一玉19円のうどんを放り込んで一分、どんぶりに持って麺つゆをかけるだけ。具が欲しければ、小松菜あたりをハサミで適当に切って、うどんと一緒に煮ておく。終わり。適当料理。なんて簡単。
でも、自炊をする習慣がなければ、ただそれだけでも面倒なもの。私もかつてはそうでした。
今では節約をモットーに過ごしているので、無職時代に自炊のハードルを下げたことは私にとって大変有意義なものになりました。
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家計管理のことを考えて倹約できるようになった
社会人時代はそれなりに収入もあったので、お金は適当に使っていました。豪遊をしていたわけではありませんでしたが、とにかく無頓着に、貯金のことなど考えずに日々を過ごしていました。
無職であり、収入がないので、今ある限られたものを計画的に使っていかなければ、あっという間にご破産なのです。
というわけで、節約・倹約のために、家計簿をつけ始めました。食費は一日500円まで、自由に使えるお金(小遣いみたいなもの)は5,000円などと、自分なりに予算を課しました。レシートは必ずもらい、レシートの出ない買い物(自動販売機など)はなるべくしない。毎日、レシートを参考にノートに手書きで家計簿を付けることを2年間続けました。
家計簿を長く続けるコツは、ざっくりと付けることです。一円単位できっちり計上しなくても構いません。
お金の帳尻を合わせるための家計簿ではなく、どのくらいお金を使っているかを把握するための家計簿なのです。
私は、光熱費・通信費などの月一回払いの支出は500円単位、日々の買い物などの支出は10円単位で付けていました。全く問題なかったです。
家計簿を付けたために支出への勘みたいなものが養われたためか、再び社会復帰し収入を得るようになってから、家計簿なしでも貯金ができるようになっていたのです。ちなみに、再就職先は、以前の職場よりもかなり給与が低いです。
以前は、何も考えずに消費していた私でしたが、倹約の精神を身に付けられたのは、ひとえに無職の経験があったからだと思うのです。
ちなみに、そのときに固定支出を減らすために、安い賃料の部屋への引っ越し、格安SIMへの乗り換え、ダイレクト型自動車保険への乗り換え、などを行ったために、今現在の固定支出が抑えられています。
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部屋がすっきり!不要物を処分し、片付けができるようになった
固定支出削減のために賃料の安い部屋への引っ越しをしたことに伴って、不要なものは尽く処分しました。
仕事に追われて部屋の片付けさえままならなかった。必要なもの、不要なものが渾然一体となって、かなり雑然としていた。無職となり、時間はたくさんあり、まして、引越し先は一回り小さい部屋だったので、意を決して捨てまくりました。
大量のCDと本、DVD、置物、着ることのなく眠ったままの服、居住スペースを占拠していたソファー、不要物を仕舞うためのそもそもの棚、お気に入りだったけど邪魔でもあったベッド、オシャレのためだけの間接照明、などなど。
売却していくらかのお金になったものもありました。
処分してしまうと、意外なことにすっきりとしました。部屋もすっきり、心もすっきり。
捨てる前は「後悔したらどうしよう」などと悩んだりしたけれど、やってしまうと、後悔なんてなかった。
むしろ、何で不要物をこんなにも溜め込んで、部屋を息苦しくしていたのだろうと不思議に思うほどです。
断捨離、とでも言うのでしょうか。
仕事をして日々に追われていると、必要なもの・不要なものの判別が付きにくかったのだと思い至ります。
家に帰れば寝るだけ。休日を部屋の片付けに費やしてしまうのはもったいない。お金はある。なんとなく欲しいなーと直感で思った不要なものを買ってくる。それの繰り返し。
落ち着いた部屋で過ごすと、気持ちも落ち着きます。
この無職時代に、取捨選択を発揮して不要物を処分し、自分の中で必要なもの・不要なものの判断基準を培ったからこそ、今でも部屋はすっきりとしたままです。
無職の時間は、自分を見つめ直す時間だった
つまり、私にとって無職・ニートだった時間というのは、自分にとって何が大切なのかを見つめ直す貴重な時間となったのでした。
それなりの給与をもらって、心身を疲弊させ、その見返りに莫大に消費する。それは私の生き方ではなかった。
給与はわずかでも、ストレスのない毎日をシンプルに過ごすこと。
お金にかこつけて思考停止するのではなく、限られたリソースの中で、自分の頭で考えて倹約すること。
本当に必要な物だけを取捨選択すること。
給与は減りましたが、今の暮らしのほうが充実して過ごせています。
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おわりに
私は決して無職になりたくてなったわけではないし、無職になることを勧めているわけでもありません。
ただ、社会人として間断なく働いている中で、自分の暮らしを改めて見つめ直すことは、誰にでも必要なことなのではないかと思うのです。
もちろん、それは働かないということによってのみ為されるわけではありません。私はたまたま無職になったから、その時間が偶然にも与えられたというだけの話です。
我々には勤労の義務がある。働かない人は弾劾の対象になってしまう。
だけど、無職期間にもこのようにメリットはある、意味のない時間なんてないということを、私は身を持って感じたのです。
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