仮病で休んだ際、その一日をどうやって過ごすかということはなかなか考えどころです。私たちは、仮病で休んだはいいけれども、じゃあ何をしようかと考えると、何も思いつかないことが多いのです。
「何もすることがないんだったら、仕事にでも行けばよかった」と思考が袋小路に迷い込んでしまうことさえあるのです。
仮病は退屈なものか
これは当然のことと言えるかもしれません。なぜなら、これは嘘のような話ですが、私たちは仮病で休んだ日においては、何もすべきことはないからです。
本当に何もしなくていいのです。仕事や勉強はもちろんですが、部屋の片付けや洗濯さえしなくていいというから驚きです。
人は、何もすることがないと「退屈だ」と思ってしまう傾向にあり、最悪、「仮病は退屈だ」と間違った認識を持ってしまうことにもなりかねません。
違うのです。せっかく仮病で休んだのですから、「あー退屈だな」とうんざりするようなことがあっては筋違いであると私は考えます。
かの有名な哲学者サルトルは、「人は自由という刑に処せられている」と言ったそうですが、仮病は刑罰ではないので、その自由を最大限自由に過ごすことが要請されます。
最も基本的な仮病の過ごし方
出かけるにしても誰かに見つかるリスクがありますから、仮病中は、基本的には家の中で過ごすことになります。
もちろん、戦略的に仮病を発動するという人は、その2~3日前にTSUTAYAで映画でも借りてきているでしょうが、仮病というのは突然使いたくなるものですので、そういった準備をしていなかった自分を責めることはありません。
最もポピュラーな過ごし方として、テレビを眺めるということが挙げられます。
テレビでは常に何かがおもしろおかしく騒いでいますし、最新のニュースも勝手に配信してくれますので、孤独を感じることを軽減させ、社会に参加しているのだという認識をもたらしてくれます。
加えてそこに「酒を飲みながら」ということが加われば、それはもう国士無双ともいうべき事態になります。
私たちが昼間から酒を飲める機会は、正月か仮病のときに限られますから、このチャンスを逃す手はないでしょう。どうせ出かける予定などないのです。
他にも人気の手段としては、インターネットやオンラインゲーム、読書、睡眠がありますが、それぞれの手段から個々人が自由に好きなだけ選ぶことができます。俗にいう、ビュッフェ方式です。
仮病が虚しく感じられたときには
仮病で休むと何だか虚しいような気分になりがちです。それは良くないことには違いありません。
私たちは、仮病で休むべくして仮病で休んだのですから、自分に対して正直にあるべきです。罪悪感など感じる必要は全然ないのです。
どうしてもそういった良心の呵責や倦怠感に苛まれるという人は、「休んでやった。ざまあみろ」と口に出して言ってみることをおすすめします。できれば、電話で休むことを告げて通話が終了した直後に、受話器に向かってそう叫ぶというのが最も効果的です。
人は、自分の行動や発言に対して一貫性を持たせたいと潜在的に考えています(「一貫性の原理」)から、仮病が始まったまさにその瞬間にそうした意志を自分自身に持たせるということは、大変良いことなのです。
それでも不安な場合、トイレのドアに「休んでやった。ざまあみろ」と貼り紙でもしておくことをおすすめします。それを見る度に、背筋をピンと伸ばして、声に出して読み上げると更に効果は高いでしょう。
それでも駄目な場合
それでも心が折れてしまうという人は、残念ながら仮病に向いていないのかもしれません。
概ね仮病に向いていない人というのは少数派であり、少数派ということは異常ということにも認識されかねないため、一度病院で診察を受けたほうがいいかもしれません。
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