うつの原因については諸説ありますが、人間に抑うつ感が現れる根本的な理由として「人間は社会的な動物であるから」という考え方があります。
今私たちがこうして地球上で繁栄しているのは、ヒトが社会性という戦略を獲得したからに他なりません。人は一人では生きていけない。「いや、一人でも生きていけるぞ」という反論もあるでしょうけれど、一人でサバンナの中に放り出されても生きていけるでしょうか? 人が皆で協力して作り上げてきた都市やシステムに私たちは守られていて、少なくともサバンナよりは安全に生き延びることができるのです。
うつは人に引き起こされるエラーではありません。本来は病気でさえなく、社会的な動物であるヒトに備わった有益な防御反応です。具体的には、
・エネルギーを温存できる
・自分の状況を冷静に分析できる
・無気力状態になることで「自分は脅威ではない」「助けて欲しい」ことを示すシグナルになる
そう、うつ状態になることは社会生活の中では正常であるということ。下記で詳しく見ていきましょう。
「人は一人では生きていけない」の意味
私たちの脳はサバンナで生活していた頃と殆ど変わっていないと言われます。例えば、現代では「カッとなること」はタブーとして扱われますが、これも人間における正常な防御反応の一種です。野生動物が現れるなど身の危険を感じた時、人は「カッとなる」ことによって一瞬で「逃げる/戦う(fight or flight)」の判断ができるようになります。ぼやぼやしている暇なんてないのです。
現代では野生動物に突然襲われることはなくなりましたが、様々なストレスがあることには変わりありません。誰かに何かを言われて「カッとなる」のは、私たちの脳の野性的な部分における「逃げる/戦う(fight or flight)」が機能しているからです。
同様に、私たちがかつてサバンナで生活していた頃は集団生活によって危険を回避し、食料を獲得していました。一人ではとても危険であり、すぐに他の動物の餌食になってしまうか、食料を得られず餓死してしまうでしょう。
人は一人では生きていけない。寄り集まらなくてはならない。集団のメンバーと上手くやっていかなくてはならないし、一人になってしまったら他の集団のメンバーに加えてもらわなくてはならない。これを上手にこなすのが「孤独感」と「抑うつ感」です。
孤独感と憂鬱
孤独感と憂鬱は似て非なるものです。しかしいずれも「この危険な状況を変えよう」と私たちを促す役割を果たすものです。
孤独感の役割は「人と繋がりたい」という気持ちを喚起し、そのための行動を起こさせることにあります。寂しいときに誰かに電話したり、毎日の生活がつまらないと感じている時に誰かを遊びに誘ったりできて心を保つことができるのは、孤独感のおかげというわけです。孤独感には実はそのようなポジティブな効能があります。
それに対して憂鬱(抑うつ感)の役割は「無気力・無関心」です。例えば、誰かに傷つくことを言われた時や嫌なことがあった時など「ひとりになりたい」と思うことがあります。これが憂鬱です。この「無気力・無関心」が極度に進行してしまい社会生活が営めないほどになってしまうことを一般に「うつ病」と呼んでいます。
一見、「無気力・無関心」が私たちに良い影響を与えるようには思えません。そんなものはないほうが良いのでは? と思うかもしれません。しかし、です。
うつ状態は私たちの何に貢献するのか
抑鬱感がもたらす紛れもない痛みは、社会的操作の手段、つまり鳴き声と同様に、「助けてください」という、周囲の注意と保護を請う合図にもなりうるのだ。この機能は、私たちが自分の社会的価値が低いと認識しているとき、社会的相互行為におけるリスクを最小限にするのに役立ちうる。
『孤独の科学』J・T・カシオポ/W・パトリック、河出文庫、P142
サバンナで一人きりの青年がいるとしましょう。彼/彼女は生きていくためにどこかの集団に仲間入りしたいと願う。これは生存本能に基づく孤独感です。
しかし、「仲間に入れてくれ」「わかった」と二つ返事で上手くとは限りません。強く拒絶されることもあるでしょうし、攻撃されてしまうこともあるかもしれません。そんな時、孤独感に任せて「仲間に入れてくれって言ってるだろ」とアプローチし続けることが得策であるとは言えません。むしろ不信感を強めるだけの結果になってしまうことが多いでしょう。
そんな時、私たちの心では孤独感の代わりに抑うつ感が顔を覗かせます。抑うつ感は「無気力・無関心」を誘発します。孤独感が「押し」であれば、抑うつ感は「引き」です。抑うつ感の「無気力・無関心」は次のような効果を発揮します。
・「引く」ことでエネルギーを温存できる
・自分の状況を冷静に分析できる(「ちょっと押しすぎただろうか」「贈り物をすれば認めてくれるだろうか」)
・無気力状態になることで「自分は脅威ではない」「助けて欲しい」ことを示すシグナルになる
これは現代でも当てはまります。突然「ねえねえ、友だちになってよ」とゴリ押ししてくる人を私たちは警戒してしまいます。従って、ここでさらに押し続けることは得策ではない。友だちになりたいのであればここは一旦引いて気持ちを落ち着け、相手にとって適切なコミュニケーションの取り方をしたり、さり気なく親切にしてあげたり、話しかけられたら笑顔で応えてあげたりを繰り返していくことで「あなたにとって脅威ではない」ことを示すことになり、信頼を築くことができるというわけです。
孤独感の「押し」と抑うつ感の「引き」によって私たちは社会性や相手との距離を適切に保っているのです。
うつ病の人を攻撃してはいけない
うつ病というのは「社会に拒絶されすぎて無気力・無関心状態が強くなりすぎてしまった状態」 とみなすことができます。特に抑うつ感が「自分は脅威ではない」「助けて欲しい」ということを示すサインであることは覚えておくべきではないかと思います。
であれば、うつ状態に陥ってしまった人を更に叱責したり、攻撃したりすることは全く無意味であるばかりか、決してしてはいけない行為であることがわかります。うつ状態自体が「もう責めないでくれ、攻撃しないでくれ、私は敵ではない」ことを示すサインであるからです。
余談ですが、ホームレスの6割はうつ病であるという見解があります(参考記事:ホームレスの約6割はうつ病!? “路上に引きこもる”人々が生活保護を嫌がる理由|DIAMOND online)。これについては、うつ病だからホームレスになってしまったのか、それともホームレスだからうつ病になってしまったのかという順序の問題や、「働かざる者食うべからず」という自己責任論もあるでしょう。
けれど、うつ病が「自分は脅威ではない」「助けて欲しい」というメッセージを放つシグナルであると考えれば、賛否両論がありながらも、彼らへの支援も社会的な動物である私たちにとって理にかなったものかもしれないと本稿を書きながら思いました。
参考文献:
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