我々は常に現状に不満を持っていると言っても過言ではありません。
幸せになりたい、もっと幸福になりたい、刺激が欲しいと思いがちです。
だけど、「幸せを追求すること=実際に幸せになること」でないことに、我々は薄々気づいています。
すごく楽しみにしていた旅行だったのに実際に行ってみるとそれほど楽しくもなかった。
すごく好きだった人とやっと交際することができたのに、数カ月経ったら気持ちが冷めてしまって別れてしまった。
希望を持って転職したのに、不満が増えてしまった――。
なぜこんなことが起こるのでしょうか。
幸せになるように考えて選択・決断したのに、幸福度はそれほど上がらないどころか、逆に下がってしまう場合もあるのです。
それは、我々の脳が未来を予測することが苦手だからに他なりません。
これを「バイアス=偏見」と言います。
未来に対して実際よりも楽観的に見通してしまうことです。未来への楽観的な偏見。
つまりは、「こうすればもっと幸せになれるよ!」と現在脳が発する思考に騙されているというわけなのです。
代表的な4つの偏見=バイアスについて見ていきましょう。
1. 投影バイアス
投影バイアスの例
例えば、ファミレスに入店する。ものすごく空腹だ。
美味しそうなメニューを眺めれば、あれも食べたいしこれも食べたいので食べたいと思ったものを手当たり次第にオーダーする。お腹が減っているんだ、食べれるだろう。なんせ食べたいんだ。
結果、注文したメニューの半分程度食べた時点で結構お腹いっぱいである。それにも関わらず、これからデザートも来ることになっている。
食べきれないぞ。なんでこんなに沢山注文してしまったんだ――。
このような経験はないでしょうか。私にはあります。
人は未来の自分を予測するのが苦手
なぜこんなことが起こったかというと、注文した時点で未来の自分を予測できなかったからに他なりません。
「現在お腹が減っているから、食べられるはずだ」と現在の状況をそのまま未来に投影してしまったわけです。満腹を甘く見ていたのです。
同様にして、新しくオープンした話題のスイーツショップに嬉々として並び、あれもこれも美味しそうだからとたくさん買うわけですが、美味しかったのは始めのうちだけでそのうち「甘いの、もう飽きた」とうんざりしてしまうのです。
これも投影バイアスによって未来の錯誤がそそのかされ、食べきれないほどのスイーツを買うという間違った選択をしてしまうからです。
2. インパクト・バイアス
田舎暮らしに憧れることや無謀な転職をしてしまうことは、このインパクト・バイアスの所業です。おおよそ、そのように大胆不敵に環境を変えても、数カ月たった頃には飽きてしまって、幸福を感じられなくなってしまうのです。
インパクト・バイアスの例
冒頭で述べた、「すごく好きだった人に猛アタックの末に交際できて幸せの絶頂だったが、数カ月経ったら交際自体が面倒になってしまって別れた」という事例は、まさにこのインパクト・バイアスの典型です。
また、私の友人に「家業を継ぐのが嫌だから」という理由でなぜか市議会議員選挙に希望を見出して立候補し当選した者がいますが、彼も当選して2ヶ月後には「選択を間違った。立候補なんてするんじゃなかった」と嘆いていました。
彼は政治家になりたかったのではなく、選挙に出るという尋常ならざる行為がその退屈な人生に何らかのインパクトを長期的にもたらすかもしれないというただそれだけの理由で立候補したのでしょう。
そう、彼の話を聞いていると「選挙に出る」と決めた時が幸せの絶頂で、それ以降は幸福度が下がっていくのが手に取るようにわかりました。
同様にして、現在の旬な話題で言えば、「やぎろぐ」の八木仁平氏の件がありましょう。
大学卒業と共に憧れのキャンピングカー生活を始めたブロガーの八木仁平氏でしたが、4ヶ月ほどが経った頃、「キャンピングカー引退宣言」を出してその生活に終止符を打ちました。曰く、「キャンピングカーを所有した時点で満足してしまった」ということです。
人は未来の感情を本来よりも強く予測しがちである
これら、当人にとっては予期せぬ良からぬ結果をもたらすインパクト・バイアスとは何かというと、
1. 人は常に実際よりも強い感情的インパクトを予測しがちである。
2. そのインパクトが実際よりも長く続くと考える傾向にある。
ということです。
付き合う前には「あの人と付き合えたらすごーく幸せだろうな」と想像するのだけれど、実際に付き合ってみると、想像していたほど幸せにはならなくて拍子抜けしてしまうこと。
そして、「あの人と付き合えたら永遠に幸せが続くだろうな」と想像するのだけれど、実際には数ヶ月で日常の一部になってしまうこと。
どんなに憧れの人と交際したとしても、就きたい職業に就いたとしても、理想の暮らしを実現したとしても、一ヶ月も経てば新しい環境に慣れて、当初は少しだけ高まった幸福度も元通りになってしまうのです。
どう頑張っても避けられぬ運命です。
私も、引っ越しをすれば八方塞がりの日々を打破できるかと思って実行したけれど、1年半後に別の八方塞がりの事態が襲来してきたという苦い経験があります。
3. ディスティンクション・バイアス(対比バイアス)
物事を他のものと比較して得られたメリットを過大評価してしまうことをディスティンクション・バイアス(対比バイアス)と呼びます。
ディスティンクション・バイアスの例
例えば、ソファーが欲しくてお店に赴くとしましょう。
店内にはたくさんのソファーが展示してあります。サイズはどうだろう、座り心地は、色は、部屋のコーティネートに合うだろうかなどを比較検討した末に、「これがいい! このソファーがあれば暮らしが豊かになるはずだ」とその中から最も気に入ったソファーを買って帰るわけです。
だけど、部屋にソファーを設置してみると、なぜか想像していたほどの興奮も幸福感も沸き立たなかった――。
人は比較によって得られたメリットを正しく扱うことができない
なぜこうなったかというと、お店では他のソファーという比較対象があって、それとの比較によって「これだ!」とお気に入りのソファーを評価したわけです。
だけど、そのソファーが部屋に運び込まれてしまうと、他のソファーという比較対象は消失し、別の基準によって評価せざるを得なくなってしまうのです。
お店では「大きいソファーが暮らしを幸せにするはずだ」と思って買ったのだけれど、いざ家に運んでみると「部屋が狭くなった。邪魔だな」となってしまう。
多くの家でソファーが物置化しているのは、そういう理由もあるのです。
4. 欲しい/好きバイアス
「欲しい」ということと、「好き」であることは全く別の心理状態であるということがわかっています。
だけど、我々の多くはそれらを上手に区別できずに行動し、選択してしまう。
結果、幸せになるはずの選択だったのに、望んでいたことと違う結末を迎えてしまうのです。
欲しい/好きバイアスの例
先述のインパクト・バイアスの項で述べた「すごく好きだった人に猛アタックの末に交際できて幸せの絶頂だったが、数カ月経ったら交際自体が面倒になってしまって別れた」という事例は、この「欲しい/好きバイアス」によるものであるとも考えられます。
すなわち、相手のことが好きだったわけではなく、ただ単に欲しい・所有したい・自分のものにしたいという欲求によって突き動かされて交際に至ったというわけです。
ただ単に「欲しい」だけなら、手に入れた時点で既に終わっていることは明白なことです。
特に狩猟型の男性の場合、「欲しい」という衝動に突き動かされて交際したはいいけれど、手に入れて時点で満足してしまったことに気付いてすぐに別れる。あるいは、別れを切り出すことができずにずるずると交際を続け、悪態をつきながら不本意に結婚に至るというケースが散見されます。
やぎろぐの人も「キャンピングカーを所有した時点で満足してしまった」と言っていることから、キャンピングカーによる放浪生活が「好き」だったのではなくて、キャンピングカーが「欲しい」という強烈な衝動によるものだったと考えられます。
人は欲しいという衝動を正しいと思って行動してしまう
我々が何かを「欲しい」と思う時には、心理的に興奮状態に陥ります。どうしても欲しい、たまらなく欲しい。
ですが、それを手に入れてしまうとその興奮は急速に鎮まってしまうのです。
それが「好き」であることには変わりはないのだけれど、「欲しい」と思っていた時ほどの強い気持ちはもうない。
この「欲しい/好きバイアス」によって我々が勘違いをしてしまうわけは、何かを欲しいと思うと、手に入れたあとでもずっと好きなはずだと考えてしまうところにあります。
「欲しい」は一瞬なのに、満たされた後もその熱がずっと続くと錯覚してしまう。
実際にはそんなことは決してないにも関わらず。
「欲しい」と「好き」の二つの心理状態は全く別のものであり、混同してしまうと選択を大きく誤ってしまうことにもなりかねません。
幸せになるはずが、不幸になる道を選んでしまう危険があるということです。
まとめ:幸せを妨げる4つのバイアス
投影バイアス
未来の自分を誤って予測してしまいがちなこと。
インパクト・バイアス
未来の感情を、本来よりも強く・長いものであると予測してしまいがちなこと。
ディスティンクション・バイアス(対比バイアス)
比較して得られたメリットを過大評価してしまいがちなこと。
欲しい/好きバイアス
「欲しい」と「好き」を混同してしまうために誤った選択をしがちなこと。
*
人の脳はいい加減にできているとよく言われますが、特に未来の予測についてはあまり上手ではないようです。
どれだけ慎重に未来を予測してみても、これらのバイアスの罠の影響を受けてしまうのが人間なのです。
では、人は幸せになることができないのか。
そういうことではありません。
少なくとも上記で示されていることは、「幸せになろうと躍起になって行動すると思っていたほど幸せになれない」ということです。
それを避けるためには、我々の脳がどういう傾向で働くのかを知ることが肝要であると考えます。
例えば、「どうしても欲しい」という衝動を感じたら、手に入れた後の生活を具体的に想像してみる。
自分のものになった後も好きでいられるか・幸せは持続するか・本当に好きで欲しいと思っているのか。
それとも、ただ単に「新しいものだしなんかすごく欲しい」と思っているだけなのか。
私がとても慎重な人間であるのでついつい慎重になることを推奨してしまうのですが、上記4つのバイアスを覚えておくことで、何が自分に幸福をもたらし得るか、その選択は本当に正しいかを、脳に騙されることなくある程度冷静に考えることができるのではないかと思うわけです。
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